冴えの無いアイデアに落胆した時、
サボり癖にほとほと嫌気がさした時、
ひとは自分の凡才さを恨みたくなってくる。
そんな時は「天才」に乞え。
凡才であることが幸せに思えるに違いない。
凡才の私が天才の条件について語ってみても、世の中には全く何の影響も出ないが、
あえて列挙するなら。。。
-独自性にこだわり抜く。
-異常にコマかいことを気にする。
-何かを実感するためには命を懸ける。
周囲の人間にとっては、酒を呑みたくないヤツの典型だ。
しかし、天才本人にとっても辛い人生に違いない。
もって生まれてしまった気性や性癖、欲の大きさは自分では操縦不能だからだ。
あきらめて遺伝子のプログラムに操られるしかない。
ある天才は、天井壁画を描きすぎて骨と皮だけになってしまった。
ある天才は、嵐の絵を描くのに、暴風雨の中自らを帆船のマストの先端にくくりつけた。
ある天才は、自らの壮大な構想を実現するのにスタッフに給料をはらわなかった。
人は天賦の才を羨むかもしれないが、私は欲しいとは思わない。
天才とはほとんど天災だといえる。
上野の美術館で出会った3人の天才(いや天災)にヒントを乞ううち、
己の凡才をありがたく思うとともに、究極の凡才を目指す気になってきた。
究極の凡才って何よ。。。??
左から
Michelangelo Buonarroti (1475-1564)
William Turner (1775-1851)
Le Corbusier (1887-1865)
3人とも画家なんだか、彫刻家なんだか、建築家なんだか、よくわからないが
確かに天才だ。
凡才の私がいうのだから間違いない。
開催中の3企画は、それぞれ関係はないが、
「こいつらスゲぇーなー、でもバカだなー。おれ凡才でよかった。」
と感嘆とあきれ顔と安堵感で観ると面白い。
N.F