分厚い伝記を読みながら、あなたのことを呼び捨てに出来なくなりました、エジソン先輩。
先輩ほど、我々の専門領域である建築に「ウエから」目線の人はいません。
私は、完全なる見オロされ状態です。 でもそれが快感なのです。

先輩の凄いところは、建築物をパソコンのような「端末」だと捉えている点です。
パソコンは使い手により様々なものを整理し組み換え、新たなものを生み出す道具です。
だから、パソコン自体を芸術作品の様に論じていても仕方がないのです。

端末にはもちろんインフラが必要で、その先にある「何か=Dream」が大切だ
ということを教えて頂きました。
「お前ら、もっと考えてつくらんかい、こら~っ!」
伝記を読みながら、怒られている心境です。

先輩は自分の発明工場の計画をスケッチにしました。デザイナーと職人が中庭をはさんでます。
それは産まれたアイデアをソッコウで試作化するためですね。

玄関棟には情報図書館があり、奥の棟には失敗作の廃品倉庫がありました。

過去=失敗作のストック   未来=情報  現在=アイデアと試作

建築物としての発明工場は、過去と未来を現在の発明に総動員し、
「何か=Dream」を生み出す端末なのです。

手慣れた筆跡で描かれた英国様式の外観は、パソコンのボディーデザインの様な
もので、発明工場の建築としての本質には何の関係もありません。

まさに建築については「ウエから」なのです。
だから私にはタ・マ・ラ・ナ・イのです。

20世紀まではモノをつくりまくる期間でした。これからどちらに向かうのか??

先輩の様に「ウエから」眺めることが重要なのですね。

やってみます。エジソン先輩。

ちなみにエジソン研究所には中庭があって、デザイナーと職人の意見交換や
大型試作実験の場に使われました。

先輩の葬儀にこの空間が役立ったというのも、これまた凄い話しでした。
N.F