私には俳句や和歌についての心得はない。
しかし「奥の細道」で詠まれた句はよく知っている。
文言だけを覚えているのではなく、詠まれた風景も一緒にインプットされている。
それは句が冒険紀行文の中で読者が見たい「ショット写真」の様に扱われているからだ。
江戸深川を出て、仙台・新潟・北陸を巡る5カ月に及ぶ大冒険。
現代の編集者なら、文章に加えて当然ヴィジュアルインパクトを挿入したくなるところだ。

美しい(だけの)句、納まりの良い(だけの)句、洒落の利いた(だけの)句、スキルフルな(だけの)句
を求める当時の風潮に吐き気がした芭蕉のとった戦略は
作品としての句を捨て、紀行文全体を大きな句に化けさせることだった。
当時まだ未知なる東北へのダイナミックでスリリングで切ない冒険こそ、
芭蕉が伝えたかったことなのだ。

俳諧と土木事業における成功の絶頂期、芭蕉はなぜか江戸下町深川のpoorな家に引っ越した。
庭の古池に入る蛙を眺めながら、大冒険紀行文のシナリオを練りに練った(そうだ)。
ルート、名所の位置、出会うべき風景、詠むべき句・・・
なんと冒険に出る前から、展開はデザインされていたのである。
poorな縁側で池の蛙をじっと見つめていたからこそ、手に入ったアイデアなのかも知れない。
「大きすぎる作品」づくりの始まりである。
N.F