このカフェには、毎日昼時になるとある中老の紳士が現れ、ワインとサンドウィッチを注文する。
グラスを持ったその人の視線はじっと前の方に向いたままだ。

食後のコーヒーでも体の構えはかわらない。
「この人は、きっと賑わいの中での孤独をエンジョイしているのだろう」と撮影者は直感した。
撮影したのは建築家の槇文彦さん(1928‐2024)である。
自らが手掛けたお店でよく見かける老人が気になり思わずシャッターを切った。

この写真には、最上の居心地良さと繊細で複雑な心の動きが2重に写り込んでいる。

理由をザックリまとめるとこうだ。
街は出会いを求めて人が集まるところである。当然そこには賑わいが生まれ、良し悪しを超えたアクシデントが多発し
この連鎖が街に活力を与えることにもなる。
しかし渦中の人はストレスに追い回される。
その状態から脱出するために本能は何をもとめるか?
私の答えは「喧噪と孤独」という矛盾した環境なのだと思う。
独りぼっちで自宅に籠っても、友人を誘って憂さ晴らしの飲み会をしても
ストレスから解放はされない。
自分と向き合いすぎたり、気晴らしであっても会話のちょっとしたズレの中にも小さなストレスが存在するからだ。
「忘我」というストレスからの解放状態は、「喧噪と孤独」の絶妙のブレンドからしか生まれない。

因みに老人の見つめる先には人が行きかう中庭がある。(ネット画像より)

そしてこの庭の中心には大きな欅が枝葉を広げ、揺らぎのある木洩れ日を作っている。

テーブル周囲の談笑がBGMとなることで自分と向き合う度合いを薄め、
同時に、見つめる先の庭の風情が適度な内省を促すのだ。
あー、人間とは複雑だ。N.F