今でも、「今にも」。
2026.5.11
家族や友人など、顔をよく知っている人でも記憶をたよりに描くのはむずかしい。
ましてやこの世を去った人の姿を、残像を追いかけて絵にするのは殆ど不可能に思える。

絵は三遊亭圓朝(1839‐1900)で、右は現存する数少ない写真である。
似ていなくもないが、本人であることを知らなければ同一人物であると断定はできない。
描いたのは鏑木清方(1878‐1972)。
幼い頃から叔父さんの様な存在だった圓朝を、死後30年ほど経ってから、
俤(おもかげ)を頼りに描いた。
この絵は、ほぼ等身大で描かれている。
暗い展示室で出くわすと、目の前に鎮座した大名人が「今にも」噺し出す感じがしてタマラない。
100年前に描かれた「今にも」が片時もサボることなく、ずっと続いていることに泣けてくる。

画家は「今にも」を表現するために、本人に似せるという目的を捨て
動き出す寸前の、力や気が充満したカタチを追求した。

このスケッチを見れば、持ち出した手と首の角度、
茶碗の中身をある程度飲んだ後、その余熱を感じながら、発声するタイミングを計る
手と指の組み合わせが追求されている。
私は1999年に「今にも」と初めて出会い、その後2026年に再会した。
相変わらず、今でも、「今にも」。が持続されていた。
その時思った。
「早よ、喋りなはれ。」
N.F