どんな業態であれ「売りもの」がある。
当たり前すぎる話しだが、自分が「何を売るべきか」を客観視するのは案外難しい。
建築家の先生なら設計作品が売りものだ。
作家先生なら出版作品だ。
家具もランドスケープもすべて同じだろう。
しかし、自らの作品に滑稽なほどの深くて細かい意味づけをし過ぎて、
買い手にとっては「何だかワケがわからん」ということはよくある。
こだわりのある先生方はかなりの確率でそのトラップにかかる。
我々もそうだ。
標榜している「小さな建築」を深堀りし過ぎるあまり、その社会的な波及効果が
帰って伝染しにくくなることは、常に要注意事項だ。
ここからの話は比較批評や批判ではない。己への戒めの意味もこめて書きたい。
先日、旭川の家具イベントに赴いた。
開催期間中、在旭企業は自社製品のプレゼンに注力した。
ショールームや工場見学などを通して、商品価値のアピールに全力を注がれていた。
おおまかに2つの企業があると感じた。
理念をうる企業。
製品をうる企業。
前者はごく少数で、ほとんどが後者だ。
その判別方法はシンプルだ。
値札が掲示されているかどうか。
製品情報が掲示されているかどうか。
値段や、加工技術自慢などの製品情報が一切なければそれは「理念を売る企業」である。
理念か製品か「どちらを売るべきか?」については答えはないが、
私は個人的には「理念」こそが売るべき対象だと考えている。
写真左は「理念を売る企業」のショールーム。右は「製品を売る企業」だ。
理念とは創業の精神であり、それ以来の商品開発の履歴だといえる。
写真左のショールームにはそれ以外の情報は一切なかった。
企業の理念が定着すればそれが分母となり、個別のプロジェクトはその分子として
社会に受け入れられる。
製品自体の値段が高くても、企業理念に大きな価値を感じるなら、相対的に「廉価感」は出る。
この場合、製品の値段には企業理念への「賛同報酬」が含まれ、それが次なる製品開発への原資となる。
個別の作品の特異性や優位性にばかり注力し、低コスト化につきあうと
結局は消耗してしまう。
家具フェスでご尽力された関係者のみなさん、生意気いってすみません。(-_-;)
これは理想論かも知れない。
「理念なんか、誰がいくらで買いまんネン? えーどうダス? どーなんダス?えーあんさん?」
大阪商人に詰め寄られたときに備えて、今後も理想論に凄みを加えいく所存だ。(^_-)
N.F