「ニッポンのキッチンせますぎるです。」
「あんたの国ではどうなの?」
「イターリアではサイテーでも30ツボありまーす。」
「そりゃデカい!4LDKのマンションだ。」
遠い昔、友人である料理人は絶望的に狭い日本の雑居ビルにある
キッチンの中から、ほろ酔い加減の私にいきなり苦言をはいた。
「なーんで、ニッポンのキッチンはこんなにせまいのですか?」
「おれは知らん。おれにいうな。」
「あんたたちケンチク屋がだらしなーいんだから。なのでは?」
「はあ? なんて?」
巻き舌で彼が説明するところの、本当のキッチンとは・・・
菜園の野菜をストックし、牛や鳥を絞めてバラし、
それらの素材を徐々に食材へと加工し、
下処理をし、仕込み、仕上げをし、盛り付け、、、
で配膳だ。
これらの全工程を空間にすると4LDKになるのだと。
最近、密度の高いキッチンをいくつか設計している。
クライアントでありキッチンの主である料理人の方々と
話しているうち、15年前の冒頭の会話を思い出した。
最新鋭の厨房兵器が精密にならんだ図面をみていると、あの強烈な巻き舌が
私に語りかける。
「リョウリとはショクモツがクチに入るまでの、ショクザイのながーい旅なのです。」
あー、もーわかった。ちょっと変な日本語だがわかりました。
何がわかったのか。
キッチンを考えぬくということは、食材の長ーい旅の一部分を切り取る作業なのだと。
旅をするのは食材だけではない。
人、食器、調味料、水、空気、ガス、電気・・・
これらが狭く密閉された空間の中を、同時に、短時間に、大量に、旅をするのだ。
キッチンが常に、予想より難しいのはここに原因がある。
「あんたたちケンチク屋が、ガンバリーな!ですから。」
「えー?なんて?」
N.F