この題名の映画のセットはすごい。
幅より奥行きの方がずっと長いのだ。普通は逆だ。
奥行きが長いだけではない。正面突き当たりには3階立てくらいの石垣がある。
この狭い線形の空間の奥から前面に向かって、波状攻撃のように人物が行きかう。
そして遠方の突き当たりの3階立てにも垂直に人がウゴメイテいる。
間狭で立体的な空間において会話と出来事が同時多発し、映画は活性化されるのだ。
これは舞台セットについてのオタク的な豆知識自慢ではない。
もちろん借家についてのはなしをしたいのだ。
全ての借家形式は専有部と共用部に大別できる。
借りている部分だけでは生活は決して成立しない。
共用部分こそが生命線なのだ。
借家であるということは、大家がいることも同時に意味する。
この映画では共用の路地空間を大家が店子に囲まれながら移動するとき、映画のストーリーは加速的に展開する。
貸す人VS借りる人
ここに緊張感がみなぎる。
憎悪も共感も、敵対も連合も、根回しも衝突も
生存への感性はここで培われるのだ。
N.F