遺構の建設

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「俺の家の柱、どれ~っ!?」
「川岸から3番目の通りに積んである、それを使え!」
「梁はどこだーっ!?」
「隣の家に立掛けてある」
「ウっしゃー」
                                                                           
西暦1800年代も終わろうとするころ、ようやくホッカイドウの各地で都市の建設がはじまった。タテヨコの道をガイドラインに地道で途方もない作業の連続。明日への礎(いしずえ)として信じるに足る確かなものは原木資材であっただろう。
                                                                                 
「少し休むべ」
「おう。おれんとこの材木に腰掛けろや。」
                                                                                           
森や湿地、川原から調達する丸太、ごろ太石、樹皮、葦、そのようなPoorな建材を扱いながら、永劫の生命をもつ都市をつくる。つまり「遺構」の建設のはじまりである。                                      
                                         
「もうすぐ、冬だな。」
「いそぐべ。」
                                                     
冬が来るまでの限られた建設期間をフルに活用するための精密な作業工程が練り上げられたに違いない。
                               
原木の流送、荷揚げ、乾燥、製材、組立て・・・
輸送鉄路もない時代に数十キロ先の森林と眼前の作業現場と限られた季節。
距離と時間と途方もない作業。究極の掛け算の中に「未来の遺構」は徐々に形をあらす。
                                                     
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ラップする遺構

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鉄は潮風に弱く、薄い波板は強風に耐えられない。この常識を逆手にとり、相手の強打をスウェーバックでかわすアウトボクサーのように、脆弱さを見方につけて、この住居は自然浸蝕と対峙している。
鉄やプラスチックの薄い波板は建築の外壁というより、むしろラッピング材だ。骨組み本体は幾度の拡張を重ね原形をとどめてはいない。その都度表面はラッピングされて空間拡張されている。
ハナレの様な作業場が、透明なプラスチック材で簡便にラップされていることが、それを物語る。
「拡張も縮小も自在」といった融通性・仮設性を武器に、対抗不可能に思える自然と対峙する建築である。
かつて自然の脅威に一度は淘汰されたかの様なこの建築は、逆に未来永劫に存在しえる「遺構」のオーラを発散しながら、テシオの沿岸に建つ。

夢みる遺構

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確かこの辺りからの眺めだったろうか。河川敷きに木材がひしめき合い、ぶつかり合う音を街中に響かせた場所は。それも「今は昔」のこと。老人はそう懐かしんだかも知れない。
                                                                
あるいは、この街が消滅するのではと、未来に少し不安を抱いたのかも知れない。
                                                                                                                                       
ある晴れた日、海と河と原野に囲まれたテシオの街を歩きながら、老人は想像を巡らせた。
・・・のかも知れない。
テシオは人間と都市の赤裸々な関係を想像できる糧として今もある。その媒介者は建築だ。

機能する遺構

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テシオは、伝説の遺構のようである。
明治中頃より、ホッカイドウの内陸で切り出した木材はテシオ河を下り、日本海から本州や朝鮮へと送られた。テシオの街は水運上の要所として、河口に寄り添うように構想された。
それゆえこの街は、非常に機械的な構造をもっている。川を下って来た大量の木材を河口に一時蓄え、そして海原へ送り出す。資材搬送の効率性がそのまま都市の骨格になったのだ。町並みや風景をデザインするなどというリッチな意図は見当たらない。
1000m×500mの広がりに引かれた格子状の道。ホッカイドウでは見慣れた街のつくりである。しかし機械のような骨格が、原野と河川と海の併走するスキ間に忽然と納められた様は、他に類をみない。
街をみじか手方向に移動すると、西端では大河川越しに日本海の潮音を聴き、東端では広大な原野への消失を予感する。驚くべきことに、この振幅の中に現代生活が成立しているのだ。                                  
1st Room=原野に人がはじめての都市を築くとき、テシオのように生活の糧となる産業インフラの効率ゆえ機械的なつくりとなる。しかしそのことで、地勢や自然環境と人間の生活のダイレクトな関係性が生まれる。
                                                                   
この街にいると1st Roomと自分のつながりを、常に意識することになる。
材木も石炭も需要低迷し、テシオの人口は減少し続けている。しかし産業近代化の過程で超合理的につくられた都市空間を歩くとき、我々が感じるのは、むしろ街を吹き抜ける烈風であり潮騒の音であり、弱く美しい北方の陽光なのである。                                 
自分が、いかなるもののうえに生活しているか。テシオの街のシャープで機械的な輪郭は、自然の脅威の中で今もボケていない。
                                                                                                                            
テシオを大自然に人間がつけた傷あととみるか、先人の築いた希望の都市とみるかは、自由であるが、それを論点にしてはならない。 
人知を超えたスケール感とシンクロしている状況に人が棲み得ることこそ未来への論点なのだ。                                                         
テシオが豊かに機能する遺構にみえる秘密はそこにある。            

恒久的仮設

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1st.Roomにおいて風は強くそして変化は火急である。人間は長時間、風にさらされると体温と体力を奪われる。建築も同じことだ。そこで遮蔽装置が必要になる。
沿岸の建築を見て気づくことは、常に吹き続ける風から身を守る仕掛けにしては、遮蔽装置の構えが仮設的であることだ。
いくら頑丈に構築しようとも、その寿命をあざ笑うかのように風は容赦なく、しかも未来永劫吹き続ける。そして人間が恒久的だと考えている建築は確実に屈する。
ここで発想が必然的に転換し、唯一ともいえる対抗手段「仮設」という謙虚で冴えたアイデアが生まれる。その結果、脆弱だが簡便に補強し続けて行くための、ありふれた素材と工法とが選択される。
つまり「恒久的な仮設」という矛盾を孕む建築の未来形。
この遮蔽装置は家の周囲に使い途を限定しない柔軟な中間領域を生みだしていると同時に、風圧の低減のために開けられたスリットは外を覗うための仕掛けともなっている。決して塀を挟んだ両側のコミュニケーションを意図するような安易な発想からではない。
守るべき対象である家本体より、塀の寿命が長いという事実を街並みの中に認める時、都市に住む人間の頭の中では「仮設」に対する概念の倒錯が一瞬起こる。しかしこれが、建築の未来形にとって「熟考すべき糧」であることにすぐ気づくにちがいない。

Milestone

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ハボロからノッシャップに至る海岸線は100km超にわたり途切れなく緩やかに連続する。この海岸線に沿って移動するとき、人間の身体的尺度を凌駕する距離感があらわれる。かつて海路によってホッカイドウ北西部にアプローチした人々にとっては無辺の沿岸線に当惑したことだろう。
大きな河川や特異地形は勿論のこと、海辺に偏在する集落や建物は延々たる海岸線を細分化し整理してくれるMilestoneなのである。
気の遠くなるくらい長い「線」上にあるからこそ「点」は意味と輝きを放つ。近距離においては建築は内側に生活を包む「容量」として存在するが、遠望するほどの外部にあっては人間を導く「点」に還元されるのだ。
「極度に相対化してみよ。知り得る建築の意味と価値を見失うほど。」スーパースローカーブな北西沿岸線は、都市生活でナマった尺度感覚に一喝をくれる。

No Limits No Control

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過去2回の大航海により南半球全域の状況をほぼ確認していたJamesCook探検隊は、1776年大英帝国の命により最後の未確認地帯に向かった。
「果てが見えないなら、どこまでも」・・・イギリスより大西洋を南下、アフリカ大陸南端からオーストラリア、ニュージーランドを通過し、ハワイ諸島を経由して一路北上。ベーリング海峡をくぐり北極圏に入る。
加藤肩吾の描いたホッカイドウが未知の磁力により北東に伸び上がるように変形していた18世紀末、Cookは既に北極圏に到達し、時には上陸しながらも執拗に情報を獲得した。糸の切れた凧のごとくベーリング海を激しく振動している航路がそれを示している。
目先の領土ホッカイドウの地勢把握に苦闘する日本。地球の地勢をほぼ手中にしていた英国。そんな騒々しさの犠牲になりつつある先住文明と奔放な自然環境。   
この三局の重なりに位置していたホッカイドウは、現代において「近代化」を検証する状況証拠である。そしてそれは建築の現在過去未来の語り部であることも意味する。

1st.ROOM

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ホッカイドウの北西部サロベツ原野にたたずみ目を細める。標識や小屋など点在する人工物は姿を消し、風景の全ては天空・山並み・地面に還元される。それらは天井・壁・床で囲まれた空間のようである。都市では決して見ることの出来ない人間を包む「最初の部屋」が姿を現す瞬間なのだ。それを1st.ROOMと名付けたい。
全ての建築は人間と1st.ROOMの間に介在する。だから建築は1st.ROOMへの果てしない増築行為なのだ。
人間は丸腰では1st.ROOMを生き抜くことはできない。だから山を割き、路を引き、田畑を巡らし、集落や都市をつくる。その結果、人間は物理的にも社会的にもたくさんのキグルミをまとうことになる。かくして日常からは1st.ROOMは完全に消失し、建築が不断の増築行為の延長上にあることも見えなくなる。
サロベツ原野は建築の未来を「冴えた増築案」として語り始める。ようこそ1st.ROOMへ。いざ、入室されたし。

磁力

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日本列島の柱頭たるホッカイドウが環オホーツク全体の重量を受け留め、上方より流れ落ちる千島列島を南端で呑み込もうとしている。
そしてテシオ、イシカリ、トカチの大河川は北東部のある一点をめがけて海から逆流しているかのような勢いである。
ここには正確な地図よりホッカイドウの本性が描出されている。
18世紀末、未だ全貌のつかみ切れない大きな島を未熟な測量術で記録するにあたり、地図作者の筆はオホーツクからロシアに向かう磁力に引っ張られたかのようだ。
当時、ロシアの蝦夷進出に抗するために地勢把握が必要であった。地図作成にあたり不可視の力が働いたとしても不思議ではない。
その磁力はロシアによる脅威を表すとともに、オホーツク以北の未知がもたらすパワーをも表現することになった。
松前藩医加藤肩吾の手による「松前図」は21世紀の人間に、ホッカイドウの本性を語りはじめるのだ。都市にあっても磁力を感じる冴えを持てと。

聖 痕

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数年を経て一時帰国したM.Oの眼には安らぎと野望が共存していた。彼は自分が取り組んでいる「進展しない」教会建設のプロジェクトの話しをした。進展しない要因の一端が聖痕(せいこん)という不可知の事象にあると少し自慢げに説明してくれた。
聖痕とは磔刑の時にイエスの手足についた外傷のことである。プロジェクトの先導者に聖痕が現れるかどうかが建設計画前進の鍵であると。脅威の残像としての聖痕が今なお建築とシンクロする現実があるのだとM.Oは語った。
教会建設という現実的問題と聖痕という不可知の事象の狭間で建築は無力である。しかしこの状況で建築が鍛えられ、「建築にとっての脅威」を実感できるのだ。
そして建築は自らの無力感を打破するため、「謙虚」「無心」「冴え」を獲得するに至る。
コンクリート製で歪な形をしていたらしいこの教会のその後については聞かされていない。