ストランゲーゼ30番地 お宅拝見

今回は、デンマークが生んだ画家好みの画家ハマスホイ(Vilhelm Hammershoi1864-1916)のお宅を拝見させて頂く。
コペンハーゲン旧市街ストランゲーゼ30番地にある北西向きの木骨レンガ造4階建て、築400年。
間取りはこうだ。
北西に向いた居間/食堂/厨房のブロックと、廊下を挟んで中庭を囲むアトリエ/寝室/予備室のブロックからなる。各部屋はタテヨコに相互に連携しているため、扉の枚数が多い上にそのデザインが統一されているため、実際は図面で見るより迷宮感がある。
ハマスホイはこの家が気に入り10年間ここに住み、決して広くはない部屋を克明に描くことで、見えないはずの扉や窓の向こうに広がる世界と繋がろうとした。

 

まず居間に入ってみよう。
北西の大きな窓は目抜き通りのストランゲーゼに面しており、向かいの建物は住人の暮らしが見える距離にある。終日緩やかな光は淡いブルーの壁に反射して部屋全体を微妙なトーンで包んでいる。窓下の高さから連続する約80センチの高さの白い腰壁は、ソファやピアノや椅子の高さと競うことで、風景画の山並みの様に家具の背景を演じている。

 

窓の左手の扉の向こうは食堂だ。
2人~5人で食卓を囲むにはいい大きさだ。窓の反対側の扉は玄関に、その右の扉は厨房につながっている。注目すべきは扉のデザインだ。部屋のサイズや格や機能によらず、枠も色もモールも取っ手もすべて同じである。四方八方に等しくつながっていく期待感、既視感、遠近感、複雑さが加速されるのである。

 

食堂から厨房に入り左を向くと、隣の家事室が見える。
家事室の向こうには廊下があり、さらに向こうの明るい中庭の景色も、窓と扉を隔てた厨房からは望める。そして振り向けばストランゲーゼの街並みにもつながっている。厨房はこの家の中で「通り~建物~中庭~裏通り」を見通せる唯一のポジションにあり、ハマスホイはそのつながりをキャンパスに固定しようと試みた。

 

家事室から玄関を経て、一度廊下に戻って左に折れてアトリエに入る。
朝から午後にかけて南からの日が差し込み、夕方からは中庭を囲む壁面に反射する間接光で満たされる。そして夜は暗闇に置かれる。アトリエは熱や光や音の変化において、一番ダイナミズムを有した部屋である。画にはそのダイナミズムが記録されている。

 

アトリエの窓から覗くと中庭を介して、住人の姿が見える。声も飛び交う。

 

中庭からアーチをくぐって通りへ出たら、街は教会や港につながっている。

これらの画は、どれも同じように見えるが、どれ一つとして同じではない。
止めどなく連続する空間を一枚の絵に封じ込めることはどう考えても無理だ。しかし1点からの眺めを遠方に向けてどこまでも克明に描くことで、さらなる世界を予感させることはできる。そのアイデアに気付いたからこそ、日々黙々と家に籠って描くことができたのだ。さらに空模様や壁の質感や劣化を切り取ることにより、絶え間のない時間の流れも予兆させるという冴えたスゴ技も披露している。

Hastings pier

無数の繊細な鉄の杭、広大な木製床、鎮座するインド風宮殿。
この風変わりでギコチない構築物の正体は?

1700年代の産業革命によりイギリスでは、蒸気の力で鉄を大量生産する「技術」が生まれた。
同時に労働力の集中により都会の人口が3~5倍に増え、住処としての環境が悪化。
その結果、休日になると人々は都会を離れて海を目指すようになった。
潮風と水平線を求める「欲望」は海岸線をとび超えて海上にまで及び、
ついにpeir(桟橋建築)と呼ばれるこの風変わりな構築体を生み出した。

産業革命期の「技術」と民衆の「欲望」に形を与えたのはシーサイドアーキテクト(海浜建築家!??)
ユージニウス・バーチ(Eugenius・Birch 1818-1884)という技師である。
若い頃インドで鉄道をつくっていたバーチは母国に戻った後、
新技術であるスクリューパイル(鉄製のネジ杭)の上に、植民地で見聞した宮殿建築をのせた。

Peirは大流行。英国の南側の海岸地帯に100ほど建設された。
しかし弱点があった。床に使われた大量の木材である。
ヘイスティング市にあるこのpierも紫外線、暴風、火災の脅威にさらされ、幾度か瀕死の状態になった。
2010年の放火でも、ハリボテの宮殿と広大な木床は消えたが、
産業革命の技術の結晶である鉄の杭は生き残った。

その後、行政と市民と建築家の協働で2015年に再生された。
まずは潮風を浴びながら、ゆっくり先端まで歩いてみよう。
対岸はフランスだ。


景色を堪能したら180度ターンで来た道をもどる。
中央のイベントホールの外壁には焼け残りの床材が使われてる。

入り口付近のレストランにはインド風宮殿のなごりを見ることが出来る。

ビールで一休みしたら、ゲートの脇から海岸に降りpeirの下に潜り込んでみる。
林立する鉄杭は潮風と火災の洗礼を受け、朽ちたものや傾いたものもあるが、
全体として産業革命の生ける亡霊のように突っ立っている。
上を見上げると、現代の大規なイベントに応えるための電気インフラが根元から先端まで走っている。

鉄杭の寿命・・・50年
鉄杭1本の耐力・・・36ton
鉄杭の総本数・・・316本
交換されたTruss(梁)の割合・・・70%
pierの長さ・・・277m


技術と欲望に直截的な「形」を与えるために必要なものは・・・能天気と見聞と才能。
朽ち果てた亡霊に再び「気」を与えるために必要なものは・・・選球眼と見識と胆力。

London Zoo Penguin Beach&Pool

ペンギンビーチと書かれた素朴なゲートをくぐると、そこは楽園。

大きくは囲われているが、その中ではペンギンは自由な動きを約束されている。
擬似的な自然環境ではあるが、デザイン上のこだわりはほとんど無い。
ペンギンのリラックス感を設計したヤツはよほどのスゴ腕か、はたまたド素人か。。。

 

その答えは、100mほど離れたところにある。

ペンギンプール
「ヒューマンスケール」でデザインされたカーブする壁。
真っ白に塗られているのは氷の「メタファー」かも知れない。

カーブの背面に回り込むと観覧のための大きな窓が開いている。


壁に囲まれた200㎡に満たない空間には美しい「プロポーション」
のランプが立体交差して、ペンギンが可愛くもぎこちない動きで列をなしている。

しかしこれは数年前までの風景。今ペンギンはいない。

コンクリートで水を貯めるプールは近代五輪に起源をもつ。
競技用でも遊泳用でもプールの中では人はスピードやコースや出入りを制限される。
ペンギンプールは1934年に、人が動物を鑑賞するためだけに設計された近代的な装置なのだ。
ロシア人の建築家は「プール」という冴えたアイデアでペンギンの動きを操縦したのである。

だから、この純白の廃墟からは建設に関わった人たちの野心と達成感が今もまぶしく溢れている。


しかしペンギンはいない。
おそらく、多くのペンギンはこの出来過ぎた近代的な住まいでの生活に疲れたのだと思う。
かくしてペンギンはプールを出てビーチに向かった。
ここを愛した住人もいたのかも知れないが。。。

 

一方ここビーチでは意図的な「ヒューマンスケール」「メタファー」「プロポーション」は存在しない。
動きの制限もなく、演出を強制されることもない。

人間もかつて渚から陸にあがり、水辺に自らの環境を築き、技術的にそれを極めつつある。

正否はないが、それを買う人もいれば、渚の暮らしを愛する人もいる。

ひとり佇むペンギンにプールとビーチについての感想をぜひお伺いしたい。

Napier New Zealand


napier ①.jpgニュージーランド北島の南東沿岸部に位置する、ホークスベイ地方の都市ネイピアは、小ぶりで愛らしい街並みが特徴である。

ダウンタウンはアールデコ様式の建築で統一されている。

もしあなたが街並みマニアなら、ビーチ沿いのカフェでワイングラスを傾けながら、こう感じるかもしれない。

 

― 綺麗だけど不自然。

 

その理由、、この街はリセットされている。

 

 

 

1931年2月2日AM10:47 M7.8の直下型地震がネイピアを襲った。

  


napier-map.jpg

 

 

街の大半は壊滅した。 

 


壊滅した街.JPG

しかし復興にはスピード感があった。

 ①建物は鉄筋コンクリート2階建て

 ②外観デザインはアールデコ様式

 

この方針で建てまくった結果、ほぼ1年で都心の商業エリアは息を吹き返した。

 

「綺麗だけど不自然」なのは、街の建築物のほとんどが構造・規模・様式・建設年代が同じところに起因する。

 

しかし、リセットされたのは街並みだけではない。

この地震による地殻変動で湿地帯だった湾の大半が2-3mほど隆起した。

つまり、「使える」土地に変貌したのだ。

 

空路で南下しながら空港にアプローチするとき、眼下には工場や住宅地が見える。


眼下の湾.JPG

隆起によって出現した産業誘致や宅地開発のためのタネ地が、街のリセットを支え続けた正体なのである。 

 


ワインセンター.jpgホークスベイのシャルドネワインは本当においしい。

 

マニアである我々は、眼前の愛らしくも不自然な街並みを眺め、

同時に1931年2月2日の地震の衝撃を想像しながら、再建のスピード感をも実感し

さらには隆起する以前の湿地帯の姿にも思いを巡らさなければならない。

 

頭の中は忙しいが、美味しいワインのツマミには事欠かない。

 

 

 

Canto Ostinato


Canto Osinato 1.jpg
Cantoは歌。Ostinatoは反復。

Canto Ostinatoはオランダ人の作曲家Simeon ten Holtによるピアノ連弾のための楽曲である。

2秒弱のシンプルな旋律が延々と反復される。

 

どれくらい繰り返されるのか?

2時間から24時間、それは演者の体調とノリ次第。

 

あなたが着席すると、4台のピアノと照明器具がセッティングされている。

演奏は静かに静かにはじまる。

それはまるで、朝陽とともに暗闇から姿を現す「波」の様である。

 

 

Canto Osinato 02.jpg

 

時間の経過とともに旋律は強弱を帯び、

南中の陽光と波が幸せそうに戯れる光景を思わせる。

 

  「一度たりとも同じ波なんて無いんだ!!そうだ。そうだ。。。 」

あなたは海を眺めながら、かつて一度はこう思った発見をここでも繰り返す。 

 

恋人とのこと、探し物の心配、今晩の食事、健康診断の結果など

日常の些末なことも脳裏を去来する。

さらに時間は経過する。

 



Canto Osinato  03.jpg一時間以上を経て、旋律は直射日光の熱を冷ますように沈静化し、

同時に雑多な感情は消え、再び旋律に神経が集中しはじめる。

そして、いよいよ曲の収束を予感が。

 

照明器具は開演時から、実はゆっくりと輝度を下げており、

気付けばすっかり暗くなり、日没の最後の一滴を残すのみとなった。

ついに光も音もフェイドアウトし演者も消える。

 

2015年3月11日 私はこの楽曲を向井山朋子さんの演奏で聴いた。

3.11、寄せては返す波動への想いを新たにしながら。

 

Canto Ostinatoはyou tubeでも体験できます。

一切何もせず、反復に身を委ねてください。

時間の流れ自体には何の意味もなく、歴史や記憶を創り出しているのは

人間であると気付くのです。

     美の巨人たちかっ!?

      (´o`;

 

 

 

 

 

Hotel chopin paris

hotel chopin ①.jpgパリの街にはパサージュと呼ばれる「通り抜け商店街」がある。

路地の様なアーケード街で楽しく怪しいお店がひしめいている。

人口が増えた18世紀に不動産事業者やビルオーナーが建物の隙間を賃貸物件に転用するという

掟破りのアイデアから生まれた。

パサージュ・ジェフロアは地図の中央に描かれているL字にクランクしている部分だ。

右手の大通りから入っていくと、、、


hotel chopin ②.jpg

ここは大阪の天満商店街かア!?  それくらい狭い。

クランクの突き当たりまで行くとHotel Chopinがある。

フロントには男前のオーナーがいて、奥に案内してくれる。

スケスケの鉄籠のエレヴェーターで2階にあがり、廊下を玄関付近あたりまで戻る。

で、あなたは部屋に入る。

そして荷物を置いて、トイレに行く前に、、

いろいろやりたいことはあっても、窓をあける!

hotel chopin ④.jpg

するとパサージュの屋根、大通りの建物の背面が現れる!!!

(意味不明の興奮だが。。。)

華やかに見えるパリの裏側だけしか見えないのだ。

物事には表があって裏がある。

裏を知らないと、表の本当の意味はわからない。

 

散歩帰りの夕方、ワインとツマミを買って、あなたは部屋に戻ってくる。

いろいろやりたいことはあっても、窓をあけてみる。

hotel chopin ⑤.jpg

パサージュの賑わう音を背景に浮かび上がる裏の景色。

もしあなたがマニアなら、この気配を満喫しながらワインの2本は速攻である。

 

最 終 写 像

写 像.jpg
海面に反射した月光は、輪郭のボヤけた小さな衛星の写像である。
  
暗夜に光る月自体も、太陽光による写像の一部である。
  
そして波面の光は眼球に写像を結び、凝視という時間を経てついに「心に写像する」。
  
  
  
太陽 →→→→ 月 →→→ 海面 →→ 眼球 → 心
  
  
恒星の光は4回の写像を経ながら、人間の心に向かって徐々に距離を詰めるのだ。
  
建築にとって重要なのは最終写像の距離X。  
  
最終写像が最短・最速となるように建築をセットしなければならい。
  
最終写像が切断されるような環境はご法度だ。  
  
超遠方と己の距離を見失うなら、
脅威への感度は下がる。  
  
  
「見える」と「見得る」のは違う。  
  
  
最終写像を「見得る」に結実させる建築こそ、
未来への「問い」である。  
  
  

無    名 

483-無名.jpg
1st-Room=原野に初めての都市と建築をつくるために全国から大勢が参じた。
                                    
ウデに覚えのある者、スネに傷を持つ者。
                                        
                                                                   
「匿名」とは自らを物陰に隠すこと。
「無名」とは己を白日の下にさらすこと。                                                                  
                                   
1st-Roomでは、身を隠す物陰などない。過去の技量も名声も無に帰す。
一人の人間として日夜、建築に向き合わなければならない。
                                                     
極度に限定された時間・資材・工法と向き合うことから生まれる建築は、
「己が刻印された無名」という矛盾をはらんだ形式をとる。
                                                                                  
いいかえれば、個性と一般性が同居する
どこか懐かしく、しかし未見の様相を呈するのだ。                                
                                                                       
己を無名に昇華する道程は、建築の未来を拓く武器でもある。                     
                                                                                

三つの境地

419-雨、志、施.jpg
1857年、Shimaは蝦夷の地を数ヶ月かけて周回し、1stRoom=原野に建築をつくる境地を得た。                                 
                                                
それらは「入北記」という日誌の巻名として数個の漢字に凝縮された。                                                
                                                                                             
                                                                            
「雨」「志」「施」
                                                                   
                                                                                                       
                                                                      
「雨」とは、自然現象のこと。気象予測もない時代、大きな空から容赦なく降る雨に、人は決して抗うことは出来ない。                                                                      
                                                               
                                                                         
                                               
「志」とは、構想力と意志の結晶のこと。独裁、柔軟、妥協。これらが一つの精神の中に矛盾無く同居するための接合剤だ。
                                                                    
                                                                                      
                                                        
「施」とは、恵みを与えること。Shima最高の収穫である。そして建築を造る究極の目標はここにある。
                                                                                            
そして、さらに踏み込んだ解釈をするなら・・・
刀で切りさばかれた様な筆跡が伝えていることは、単なる文字の意味だけではなく、1st Roomという究極の状況下で建築を造るためには、迅速と決断と冴えが必要であるという境地である。                                                             
                                                                   
遺構の建設のための準備は、この様にして徐々に心の内側から整って行った。

commit

369-攻める家.jpg
先住の民のcise(=住拠)の建設は1st Room(=原野)を強く意識することが起点となる。
                        
あるじ自らが地勢や地縁に積極的に働きかけなければ、建設地も材料の調達もままならない。つまり環境や歴史に「commit(=関与)する力」が試される建築なのである。
                         
そしてコミットするべき対象はkamui(=神)という不可視の存在にまで及ぶ。
                                                 
コミットするためには対象を熟知し感じることが必要だ。
多くの経験や知識は無論のこと、何よりも不可視の脅威に対する感度が重要となる。     
                        
笹、葦、ぶどう蔓、シナ縄、はんのき、ミズナラ・・・自然環境にcommitすることで獲得できる素材たちは、幾百年を超えて正確に反復される建設方法を支えてきた。
                      
長期に渡り反復出来たのは、先住民が「注意深いcommit」をしてきたからだろう。                              
                                 
建築物としてのciseは非常に脆弱である。 そしてその脆弱性は単なる物理的な耐久性という意味をはるか超える。
      
儀式として、主が亡くなると家は燃やされる。現物としてのciseは仮の姿であり、住人の消滅とともに不可視の脅威に向かって「返還」されるのだ。           
                                                              
ciseの恒久的仮設性は、不可視の脅威まで視野に入れた「注意深いcommit」の賜物なのだ。
                                                                         
「近代化」の恩恵に慣れた我々は、高度なモノづくりのコンセプトとして
強く、深く、注意深く「commit」する力を手中に納めなければならない。