skill その3

NYっ子のリックさんは木工職人を祖父にもち、大学で彫刻を学んだ。
グリニッジヴィレッジで何十年もハンドメイドギター店を営んでいる。
バーやホテルなど解体された建築物から出た廃材を使ってギターを作っているのだ。
樹齢150年超えるその使い古された木材を「NYの骨」と呼んでいる。ビギナーからマニア、
そしてミュージシャンズミュージシャン(音楽家が尊敬する音楽家)が来店し、
ギターをつま弾きながら、店主とワクワクするようなギター問答を展開する。

リックさん曰く
「この木にはバーの酒がタップリ染み込んでいるのさ。」
「街の歴史を伝えたいから、虫食いや傷をそのまま残した加工をしている。」
「完全に乾燥した木材は、細胞が結晶化し導管が開くので、よく共鳴するんだよ。」

スキルとはおそらく
・孤独の中から発想されるもの
・身に着くまでには日々の鍛錬が必要なもの
・人を笑顔にするもの
・決してノウハウ化出来ないもの
確かに、これは大学では学べない。N.F

skill その2


トリニダードトバゴ出身のジョセフさんは、もともとは競馬の騎手をしていた。
安定した仕事を求めてNY警察に就職した。
任務は早朝のラッシュ時の交通整理である。
冬のNYは寒くて、とてもじっとしてはいられない。
ジョセフさんは考えた、激しく踊りながら交通整理をしようと。
「怖くはない。ラッシュに飛び込むのだ。」

やがて命がけのダンスパフォーマンスはドライバーの注目を集めた。
でもそれだけではなく、緊張の中で仕事に向かうニューヨーカーに緩和と笑顔を与えるまでになった。

ジョセフさん、あなたにとってスキルとはなんですか?

skill その1

昔、大学の建築学科の授業で、ある先生が学生に
「学校はスキルを学ぶ場ではない。」という様なことを言った。
「スキルは小手先の技術である」というニュアンスが含まれていて
その時は流してしまったが、心では未消化のままだった。
なぜ未消化だったか。。。?
「スキル」は小手先の技術なんかではなく、獲得するには
非常に労力を要するものだと、どこかで感じていたからだ。


ポルトガル生まれのメスキータさんはヨーロッパ各地で革や金属加工の修行をして来た。
ある年齢でNYでトップサービスという靴修理の店を開業させた。
技術的に難しい折れたピンヒールの金物を引き抜いて交換したり、
高齢者の紐靴を履き易いようにマジックテープ仕様にしたり、
コレクションショーの靴をよりファッショナブルに改造したり、
高級靴店の売り子さんに靴の構造を講義したり、
樹形図の様に守備範囲は広がる。
そして顧客の満足度は非常に高い。

メスキータさん曰く
「どんな靴でもやることは同じだから、全工程に手を抜かない。」
「お客さんはこちらの仕事に対し、驚くほど喜んでくれるんだ。」
仕事外では店の上階にある自宅を時間をかけて改修したり、
時計の分解修理をすることで、手と目と頭を鍛えているそうだ。

メスキータさん、あなたにとってスキルとは何ですか?

Maekawa曰く

1942年、昭和の大建築家、Maekawaはこう言った。
「バラックをつくる人はバラックをつくりながら、ただ誠実に全環境に目を注げ!」
そしてこう続けた。
「都合の良い部分だけ切り取るな!」
Maekawaは飽きさせない建築をつくるため、設計や施工方法のすべてをゼロベースから問い直した男前である。
そして80年の時を経た今「全環境」「都合の良い部分」はいよいよ社会に刺さり込む言葉に育ってきた。

昨年ロンドンのラグビースタジアムでビールを飲んだ時のコップである。
メッセージが印字されており、肉厚のある美しい乳白色のボディーの底には補強のリブが入っている。
ゲーム後、このコップの有料回収コーナーがあったが、私は別れ惜しくて思わず持ち帰った。
帰国後、フランスが使い捨てプラスチックの禁止を法制化したことを知った。
フランスにはプラスチックバレーと呼ばれるオヨナという街がありプラスチックの先端企業が集まっている。
このカップはそこでつくられたものだった。
フランスだけでも年間50億個ものプラスチック容器が廃棄される。リサイクル率は1%。
世界中で海洋汚染の要因になっている。

このコップは回収後、製造元の企業によりラベルが貼り直され別のイベントに提供される。
分子レベルで再生するためのつくりにはまだ至ってはいない。
しかし、少なくとも再使用に耐えるためのデザインになっているのだ。

「コップをつくる人はコップをつくりながら、全環境に目を注げ!」
「都合の良い部分だけビジネスとして切り取るな!」

コップを自分の仕事に置き換えた時、すべての職業人には3つの選択肢が与えられる。
一つ、知らないふりをする。
二つ、ゼロベースで問い直す。
三つ、住む星を変える。

前川國男 1905-1986
N.F

SNS写経

「飽きない、飽きさせない、発想」をどう生み出すか。。。
非常に難しい。
いえることは
天才は少量の入力でも出力を無限大にすることが可能であること。
凡才は「無限大の入力」に耐えるしか「飽きない、飽きさせない、発想」は生み出せないこと。

ところでFBなどのSNSを通じて、頼んでもないのに毎日の様に世界の建築レポートが投げ込まれる。
一種の広告ビジネスだが、量や質はバカに出来ない。

気になる記事を熟読もせずに保存しておいたら、5年で数100を超えていた。
これを写経の様にサンプリングして、嫌になるまで睨むことにした。

選んだカット数は1000を超える。インデックスだけでも30ページ。

SNS写経によって得られた境地。
・世界は広い。
・凄腕も多い。
・しかし手法は限られている。

では「飽きられる」「飽きられない」を分けるものは何か?
それはおそらく「’%&..#Φ:$”@」なんだと思う。
文字化けが気になる方は皆さんなりの写経をしてみてください。N.F

to Me.


毎日毎日、仕事やプライベートに翻弄されながら、流れ続ける時間の中を泳いでいる「私」。
ご立派なこと、不遜なこと、とても人には言えないことを間断なく考え、感じ、思い続けている。
ときどき、こんなとりとめの無さに嫌気がさす。

そこで、ダラーッとした時間を一瞬堰き止め、散漫な「私」を部分的に切取り、
それを傍観し嘲笑することで自省と推進のエンジンにしたい、、、
という強い衝動にかられることがある。
それが私にとって文章を書く唯一の動機である。

そんな性分だから、他人が「私」に向けて書いた文章を読むのが好きだ。
しかし、「私」に向けて書かれた文や本は案外少ない。
「あなた」、あるいは「あなたがた」に向けたメッセージが売れるのだ。
「私」に向けることと商業性は両立しにくい。

偶然手にした本。これは建築の専門書である。まだ建築家としては無名の若い人が書いている。
超有名建築家を論じるという体裁だが、内容は一言一句「私」に向けた文章だ。
俗人としての「私」 が 聖なる作品をつくるアーティストを志向する。
このウソっぽさを「私」としては放置できない。

この矛盾、というより亀裂に近い状況を抱えた「私」に向けた文章だ。

ダラッとした日常の妄想を確実に切取り、亀裂の正体やそれらを繋ぐものを洗い出し、
その状況を克服する術を渇望する熱量は半端ではない。
こういう人はきっと近い将来、何者かに成るに違いない。

なぜなら、「私」に向けて行動できる人は「私たち」に向けて行動できるからだ。
「あなたがた」という姿勢では、いつまでたっても状況は打開できない。N.F

意識的に、無防備。

この世の中でこわいものは?と聞かれたら、、、
まず、あの世からの使者だろう。
まだこの世にやり残したことがあるから、もう少し待ってほしいのです。
もうひとつは、、、人。それも無防備な人。
もしそれが意識的だったら相当手ごわい人だ。

意識的に無防備.jpg

ヘルンは毎夜、妻の話に耳を傾ける。意識的に、無防備に。
あらゆる先入観をなくして、物事の本質を感じるために。
完全なるオープンマインド。いやノーガード戦法だ。
小声でゆっくりと片言の英語で語られるのは、通俗的な日本の怪談である。
耳から心へそのまま入った言葉は熟成された後、英語で書き直される。

再話=Re-telling 魂を吹き込んで語りなおす

偶然の出会い、不合理な別れ、説明のつかない再会と突然の結末。
簡潔なセリフによる展開と緻密なト書きで、通俗的で凡庸な伝承が
普遍的で心に刺さり込むサスペンスに語りなおされる。

The Story of Mimi-Nashi-Hoichi, Rokuro-kubi , Yuki-Onnaなどの
有名なKwaidanは「再話=Re-telling」によって生み出された。
ヘルンは日本という未知なるものの本質をとらえるために終生「意識的に無防備」でありつづけた。

我々は日々の仕事において、通俗さや凡庸さを、普遍性に磨き上げる能力を渇望する。
つくるものがインスタ映えなんてしなくていいから
その能力がほしい!本当にほしい!ああほしい。。。

しかし意識すればするほどそれは困難だ。

Kwaidanが伝えているのは、日本が幽霊天国であるということではない。
「意識的に無防備」でいることが、見えないものを可視化し、
俗を聖に静かに移動させ、凡庸を普遍に化けさせるための術そのものなのである。。ということだ。
ヘルンこと小泉八雲は日本のことを、ワンフレーズで切り取る。
- 様々なものが無限に手作りされてきた国
N.F

changeの戦略

ええー、ここに美濃部孝蔵というかわった男がおりましてな、
かわりにかわっておるのでございます。

なんでも明治二十三年の生まれだそうでございましてね、
小さい頃からさんざん悪(ワル)をしたあげく、
仕事を転々とかわりましてね、いよいよ定職につかなきゃってんで弟子入りしましてな、
三遊亭盛朝と名乗ったのでございます。

数えの二十一で高座にあがり、めでたく三遊亭朝太と名をかえたのでございます。
それから圓菊とかわり、そのまた数年後に金原亭馬太郎にかわったのでございます。
それから間もなく武生にとっかえ、馬きんにひっかえ、
古今亭志ん馬とかわったのは大正十年のこと。

ちなみに小金井芦風というかわった別名もございましてな、
その後も順調にかわりつづけるのでございます。

古今亭馬きん、馬生とかわり、昭和に入る頃には柳家東三楼に。
それで、下だけちょいとかえましてね、甚語楼です。

こうなったら、どんどんかえちめぇ!ってんで
隅田川馬石に切りかわり、柳家甚語楼にかわり戻って、、
古今亭志ん馬にすりかわり、金原亭馬生にかわりはて、、、

ついに昭和十四年に五代目古今亭志ん生にかわり着いたのでございます。

それから三十余年というもの、志ん生を名乗り、
その名はひろく愛されることになったのでございます。

そして昭和四十八年美濃部孝蔵としてあの世へうつりかわったのでございます。

なんで、そんなにかわったのかってぇーと、、、、
「替り目」が十八番(おはこ)だったからでございます。 m(__)m

美濃部孝蔵→三遊亭盛朝→三遊亭朝太→三遊亭圓菊→金原亭馬太郎→

金原亭武生→金原亭馬きん→古今亭志ん馬→小金井芦風→古今亭馬きん→

古今亭馬生→柳家東三楼→柳家甚語楼→隅田川馬石→柳家甚語楼→

古今亭志ん→金原亭馬生→古今亭志ん生→美濃部孝蔵

Tanizakiの戦略


出張や旅の出がけ、時間の無い中で何も考えずに偶然つかんだ 本が不幸にも
谷崎潤一郎であることが5年に1度くらいある。
そしてその後48時間は怒涛の愛憎劇に巻き込まれることになる。

巨匠の条件のひとつは「出力」の多さであるが、谷崎はそれどころではない。
句読点や段落はあるものの、1ページ目文頭から最後の一語一句まで語り手による独白に完全にモッて行かれる。
すこし芝居がかった、しかし押しの強い、それでいて弁の立つ演説に捕まった様なものだ。

つまり逃げられない。。。

読者を逃がさないTanizakiの戦略は、、、
①シームレス(つぎめなく展開する事件や場面)
②エモーショナル(登場人物が自らの感情の奴隷になっている)
③幾何学性(人間関係の配置や変化の美しさ)

①シームレスについては、20ページほど読めばすぐに予感できる。
②エモーショナルについても、50ページ読めば「感情による判断と行動」が愛憎劇のエンジンであることがわかる。
しかし③幾何学性については、愛憎のドロドロに巻き込まれている最中にはわからない。

物語の終盤になって、数人の男女が接近し離れていく構図が幾何学模様のごとく綺麗に感じられるのだ。

先日つい手にしてしまった「卍」も、二組の男女が複雑に入り乱れ、
その容赦のないドロドロの愛憎劇から逃れられなくなる。
しかし物語の収束を予感する終盤にさしかかるころになって初めて全体を覆う幾何学的な
デザインをなんとなく感じるのである。

「つぎめなくドロドロ」を最後まで一気に読ませるために、
Tanizakiが用意した戦略は万華鏡のように変化する幾何学だったのである!!

まあ、私がここで近代の文豪についてアツく語っても仕方ないのだが。。。N.F

Keanuの戦略


20世紀も終わるころ、キアヌ・リーブスは「マトリックス」で映像のデジタル編集を経験した。
そして10数年後、彼は「サイドバイサイド フィルムからデジタルシネマへ」を自ら制作する。
デジタル技術により撮影や編集が劇的に変わった。

ざっくり3点あげると。
・フィルムの購入費や輸送費がかからなくなった。
・フィルム交換不要のため撮影時間に制限がなくなった。
・カット割りやカラーリングなど編集パターンが無限大に広がった。

“職人気質が多いフィルム派”の監督やエンジニアのご意見は。。。
「現場から緊張感が消えた」
「撮影素材が膨大になったことで、編集に迷いが生じる」
「デジタルなんて映画じゃねえ!」

“進取気性のデジタル派”のご意見は。。。
「お金がなくても映画がつくれる」
「技術的な選択肢だ、恐れることはない」

その後デジタルカメラの技術開発が進み、
「カメラのようなパソコン」や「カメラのような電話」がうまれた。
その結果、映像は誰でも手軽に撮影発信できるようになり、
アプリやサイトを開いたら溺死しそうなくらいの映像が溢れだす。

映画の終盤は、ある巨匠の言葉でくくられる。
「すべての人間が紙とペンを手にしたからと言って、いい物語が増えるわけではない。」
「技術的な手段が大切なのではなく、物語をつくる情熱が大切なのだ!」


私も日々の仕事を通じてこう実感する。
職人気質か進取気性かは問題ではない。
むしろ問題なのは、手軽さの生み出す弊害だ。
情報を膨大に拡散し、反応速度とウィットと忖度が求められ、
議論の深さを回避し、審美眼を鈍らせる。。。
格差と貧困を助長し、争いを誘発する。
やがて、川は枯れ、山は死に、海は荒れ狂い、大地が割れる。。。。
。。。なんの話しでしたっけ??
Keanuの戦略、深すぎます。 m(_ _)m
N.F