チャーチル・ノート

ヒットラー独裁から世界を救ったことで有名な英首相ウィンストン・チャーチルは
演説の名手であり、「言葉の杭打機」の異名もとるが、
以下のような興味深い語録がある。

「己の中のモンスターを殺せ」
解題すると、、
実感や知識に裏打ちされないアイデアや妄想を完全に捨て去ってこそ
人を説得できる力強い言葉や行動が産み出せるのだ。

独軍に追い詰められた33万人の英兵を9日間で救出し、
日本軍の真珠湾奇襲を密かに喜び、
65000語を駆使し、(通常の倍らしいが、ピンと来ない)
500枚もの印象派風の美しい絵画を描き上げ、
「サミット」や「中東」など多くの普遍的な造語を編み出し、
酒が好きで、
葉巻を美しく吸うために針金を仕込み、
ノーベル文学賞をさらった。

説明すればするほど全貌はカスむが、すべては「己の中のモンスターを殺す」ことに
精魂を捧げた成果であったことは
伝記映画を観ても、著作を読んでも、絵を眺めても、ビンビン伝わる。
N.F

2019年卒業設計の旅

北海道大学の卒業設計の最終プレゼン会に招かれた。
50人の学生から選ばれた14人が自分の作品を前に思いを語った。
そして、ある提案の中のたった一言に私は動揺した。

彼女は故郷函館の一区画を、旅人と住人が交流する町家風シェアスペースとする提案をした。
コンセプトは次のような対語で表現された。
「暮らすように旅する」
「旅するように暮らす」

最近の観光トレンドは、訪問地での生活体験や住人との交流である。
だから「暮らすように旅する」はわかり易い。
しかし「旅するように暮らす」はどうだろう。
遊牧民としてではなく、土地に定住する人の「旅する暮らし」とはなんだろう??
私の頭はフル回転させられるハメになった。

グレートジャーニー。かつて人類は数十万年かけてアフリカからアメリカに
大陸間移動し、ついに大河川沿いに定住の地を見つけた。
やがて建物や街の様なものができた。
つまり定住への本能や願望が建築や都市というジャンルを生んだのである。
その後、生活環境は安定するものの、人口集中はたくさんの都市問題を生んだ。
これを逆に解釈すると、もし人が定住の呪縛から解放され、
再び「旅するように暮らす」ことが出来たら、都市問題の要因は解消されることになる。
それも遊牧民の様な仮説的な生活ではなく、ある地域や土地柄の中での微小な移動を
楽しむ現代的な暮らしとしてのネクストジャーニー。

なんてことをプレゼンターを無視して暴走妄想しコメントを述べたわけだが、
残念なことに彼女の意図は「暮らすように旅する」観光客と住民との交流づくりにあった。

建築分野から初のノーベル賞が出るかもと興奮したのだが。。。
突然ハイテンションになった私をお許しください。N.F

I  ❤ DK

「あなたが好きな場所はどこですか?」という曖昧な質問に何と答えますか?
例えば、ディズニーランド。  例えば、夢の中。  例えば、ゴミ箱。 例えば、冥王星の軌道上。
あなたにとって本当にしっくり来るのであれば、誰も否定は出来ない。
最近、私にとってのそれがどこなのかがわかった。いや予感はあった。
平凡すぎて認めたくなかったのかも知れない。

ここはLONDONの街中 5Doughty Street , Camdenにあるジョージア様式のアパートホテル。
外観は整然としすぎていて、退屈な感じもする。
中央に窓が3つ並んでいる最上階に5日間いたのだが、、、

はじめて踏み込んだときにココが私の好きな場所であると直感した。

 

間取りは外観より複雑だ。黄色いエリアが借りた部屋。左端の3つの窓が先ほどの写真で説明した部分。

もうバレバレだが、赤字で力強く告白している通り、私は狭いダイニングキッチンが好きなのである。

中はこんな感じである。手の届くところに食べ物、調理機器、アート、音源、ゴミ箱、風景・・・

大小遠近様々なものが私を取り囲む。だから「狭い」ことが重要なのだ。
ディズニーランドは賑やかすぎるし、夢の中では欲しいものが掴めない。
ゴミ箱の中は狭すぎるし、冥王星の軌道は広すぎる。

やはり、人それぞれなのだ。N.F

 

デザインされる人間

人間は考え、話し、つくる。
石器から人工知能まで「デザインする主体は人間」だと捉えてきたが、この本の主張は真逆である。


自らが「創り・造り・作り」続けるデザインに、
人間が逆にデザインされなおしている(=リ・デザイン)という妙な話が展開される。

例えば石斧の原型が生まれたとしよう。
武器や道具として使用するための形状はシンプルで、製作上の手間はかからないはずだ。
しかし、「もっと巧く、もっと美しく、もっと早く」という人間特有の素晴らくも悲しき習性により、
用途を超えた「何か」に化けていく。まるで美術品のように。。。
この「何か」が人間の脳や体の構造までも変化させるというのだ。
これは刀や携帯電話、洋服や自動車を想像すれば理解できる。
日本刀に正体不明のJAPAN感覚を植え付けられ、
ピンヒールを我慢して履きこなすことで、体幹や足の形が変わるのだ。
デザインされるのは人間なのだ。
Are we human? = もはや我々は人間じゃないかも?

そしてこの本は「人間はデザインによって自らを滅ぼす種である」という警鐘で終わる。

こんな大局的な問いができるこの本の作者。
それでもイイ気になってデザインしたい私。

このギャップにしみじみ「人間味」を感じ入る秋の夕暮。N.F

束 縛


自分が好きな人の行動というものは気にかかるものだ。
できれば色んなことを知っていたいと思う。
しかし詮索や嫉妬ならなんとか見過ごせるが、束縛となると一気に緊張感が出る。
漫才コンビ和牛の「束縛」というネタは、危ないと面白い、キモいとカワいい、のせめぎ合いが滑稽でスリリングだ。
自己チュウ男の彼女に対する束縛内容はどれもが幼稚だがメニューは豊富だ。
それでいて妙に工夫が凝らされている。
幼稚さはもちろん計算されたものだ。

このネタに限らず、自己中心的な人格とそれに翻弄される繊細な人柄という二人の役回りは
常にコンビの軸として固定されている。
従って、人格の上で完全にズレている二人が遭遇する日常の風景をセリフの積み重ねとして切り取ることで
ネタは無尽蔵に生産可能だ。少々のミスやアドリブも、それぞれの人格に立ち戻れば
なんなく軌道修正や発展ができる。

通常漫才におけるネタづくりの大変さは、ストーリーを産み出す状況設定にあると思うが、
その都度、天から降りてくるアイデアを渇望するのではなく、
人格の完全なズレを観客に対して示し続けることで笑いが生まれることに気付いた
まさにその点に和牛の冴えと謙虚さがある。
、、、と、超人気コンビを今更分析しても仕方ないのだが・・・N.F