どんなに筆達者でも、ハンパな気持ちで描き始めては絶対いけないもの。。。
それは「千手観音」。
とくに京都三十三間堂のそれは全部で千体。 びっしり並んでいる。無理だ。
「かいてみっかなー」と思った人は人生のブラックホールの前に立っていると考えたほうがよい。
(腕の本数は実際には一体当たり数十本だが)
2002年初夏、私はこの深いブラックホールに落ちた。
一体を描き始めたところで、あまりの複雑さに筆がとまった。
- このままメモ帳を閉じ、静かなる負け犬として御堂を後にするべきか?
- あるいは複雑さを克服するまでネバるべきか?
かなりモジモジした後、ある問いに至った。
「そもそも」自分は何に感動したのか?「ざっくり」自分に問いかけた。
観音の表情の不気味さか? 長すぎる回廊のバカバカしさか? 拝観料の高さか?
しばし、フリーズしたあとにひらめいた!
- 千体も、重ならずに並べた奴が偉いっ!
後は千体の並べ方を記録するだけで気持ちが整った。
私は勝ったのだ。見事ブラックホールから生還したのだ。
この「千手観音の教訓」とは、対象は「そもそも」と「ざっくり」で掴めということだ。
そもそも画家でもない自分が、
千手千体に挑む理由がないし
そもそも百キンのペンとメモしか持参しない者が、
数百年の造形奥義を数分でメモろうとすること自体、
そもそも大間違いだ。
「そもそも」を見失うな。
だから「ざっくり」つかもう。
プロデューサーたるもの。
N.F