わ き 役  VS  主 役

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札幌市庁舎のロビー改装の主役はSHIMAである。島義勇は開拓判官として、未開の原野に壮大すぎる過ぎる都市構想を描き、職を追われたクレージーで愛すべき先人である。ロビーの端っこで2.5mもある巨体の銅像は色あせた存在になっていた。
我々の職務は二つある。
ひとつめ・・・築40年を向かえ庁舎ロビーを機能性・快適性の面でヴァージョンアップさせること。
ふたつめ・・・主役SHIMAにオーラをあたえる「わき役」の案出と設計と建設である。
Gen-ya、亀、イチ、ハチ、シロ、エス、Yuki-akari、Shimaizm、WoodPlace・・・一見して奇妙で力強い「わき役」が登場した。
これらは、庁舎各課の多くの方々との対話、プロジェクトコーディネーターとの議論、150年前へのイメージトリップ、志のある建築職人や家具メーカーとの協働から、次第に輪郭を現したのだ。
そして、我々の設計活動のエンジンである「Voidの探求」も一役かっている。
                                                      
カラ松、トド松、カバ、ステンレス、ホワイトボード、LED、アクリル・・・すべての形は、新旧の素材や技術の「かけあい漫才」でできている。
今秋の完成を目指して、議論や取材の蓄積、そしてイメージ模型の山を図面化する作業がつづく。N.F
                                                   
写真上は、わき役の一部。シロ、亀、イチ、ハチ、エス。
写真下は、クレイジーな都市を山頂から構想しているSHIMA。

綺麗なだけではダメ

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2月13日、14日にp.b.V併設のcafe me, weで行われた、GXRタッチ&トライ・写真展・ワークショップは無事終了したしました。
この2日間は写真好きの方が多く集まり、活発な意見交換が行われてました。
イベントは、写真を撮る上での撮影のポイントの話やデジタルカメラGXRを使っての撮影、講師の方と雑誌編集の方が参加者の写真を見て色々なアドバイスをする等の形で進められました。
参加者の皆さんはとても、上手い方ばかりで他の方の写真を見るたびに、自分とは違う物のとらえ方、切り取り方に新鮮な驚きと嫉妬(笑)を覚えました。
講師の方と雑誌編集の方からは、結構辛口なアドバイスもビシバシ飛び散り刺激の強いイベントにもなっていたと思います。
これも参加者の皆さんのレベルが高く、綺麗な写真は撮れて当たり前でその次に目指すものはと何なのかという流れからの話になっていました。
なかでも、印象的だったのが、綺麗な写真ばかり撮っていると写真を撮ることに飽きてくるというものでした。
綺麗な写真は、カメラの性能もよくなってきた現在、誰でも撮れるものなりつつあると。
そうしたと時に目に留まるのは、誰でも撮れる綺麗な瞬間では無く、その人にしか撮れない気持ちの入った写真だと。
ただ自分がいいと思った物を撮るのだけでなく、そこに自分なりの意味のあるものを加える、または省くというのは撮る側にとってもわくわくするし、楽しい瞬間でもある。
そんな楽しさを持続するためには、ただ綺麗なだけでは足りないと。
そこで、一つの方法として講師の方が話していたのが、ホワイトバランスの設定をその都度変えていくというもの。
ホワイトバランスを変えることで、写真の表情ががらりと変わり、一気に自分の気持ちが入った写真になる。
そんなお話がありました。
確かに、綺麗な写真は「わー綺麗」とは思うものの、そこから何かを感じるか
といわれると悩むところです。
でも、ピントがボケてても何か意図を感じられる写真は想像力が掻き立てられ、
意識に残るものが多い気が私はしました。
そこで私が思ったことは、写真と建築という、思考に共通点が無いと思って
いた物が、自分らしさやその人にしかできないなにかが無いと、他の人に
響くものができないという点では、もしかしたら似ている物なのかもしれないと。
そんな風に写真だけでなく建築にも活かせるヒントが散りばめられたイベント
だったのかもしれません。M.T
写真は上がワークショップの様子、下はワークショップで使ったカメラ等

やまいえ

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山と急な坂道のすきまに建てる3m×20mの家。
3mという幅を実感をもって計画すれば、20mの長さは生活の障害にはならない。
だからこの家の可能性は、細長い空間に生活が梱包されてる面白さではない。
                                                      
                                                   
山の脅威とめぐみを、建築に一気に流れ込ませること。                                                            
これが住人に日々の感動と幸せを提供する「可能性」だと我々は信じている。
                                         
雪崩、湧き水などの脅威と引き換えに、紅葉、雪渓、山菜などのめぐみを受けるのだ・・・
そのためには、山の土圧を受けながら斜面に刺さり込む「構造フレームの開放」が求められる。
                                                        
                                                                
構造フレームを開放し、外気を呼吸させるための課題は山積状態だ。
カラ松クロスボード、くろのり、ステンレス、きのせんい、スパイラルフレーム。
他のプロジェクトで案出中のアイデアを「飛び火」させることが重要だ。
                                     
実感をもったアイデアを信じよう。取材の蓄積を信じよう。
                                        
そしてpoorさ から生み出されるパワーを。N.F

遺構の建設

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「俺の家の柱、どれ~っ!?」
「川岸から3番目の通りに積んである、それを使え!」
「梁はどこだーっ!?」
「隣の家に立掛けてある」
「ウっしゃー」
                                                                           
西暦1800年代も終わろうとするころ、ようやくホッカイドウの各地で都市の建設がはじまった。タテヨコの道をガイドラインに地道で途方もない作業の連続。明日への礎(いしずえ)として信じるに足る確かなものは原木資材であっただろう。
                                                                                 
「少し休むべ」
「おう。おれんとこの材木に腰掛けろや。」
                                                                                           
森や湿地、川原から調達する丸太、ごろ太石、樹皮、葦、そのようなPoorな建材を扱いながら、永劫の生命をもつ都市をつくる。つまり「遺構」の建設のはじまりである。                                      
                                         
「もうすぐ、冬だな。」
「いそぐべ。」
                                                     
冬が来るまでの限られた建設期間をフルに活用するための精密な作業工程が練り上げられたに違いない。
                               
原木の流送、荷揚げ、乾燥、製材、組立て・・・
輸送鉄路もない時代に数十キロ先の森林と眼前の作業現場と限られた季節。
距離と時間と途方もない作業。究極の掛け算の中に「未来の遺構」は徐々に形をあらす。
                                                     
書きかけ中

きのせんい

きのせんい.jpg

“木の繊維”は苫小牧にあるベンチャー企業の社名である。カラ松の端材チップを繊維状に砕いて成形し断熱材をつくっている。日本でのシェアはまだ低いがライセンス元のドイツでは普及している。
昨年に取材した下川町森林組合の木材活用の無駄のなさにも驚いたが、この工場はさらにその発展形である。
                                                                                                                      
木の繊維で出来た断熱材は一見ではpoorそうだが、十分に素材としての将来性が備わっている。
まず、圧縮成形で密度を高く出来るため熱を蓄えることができる。つまり重量感のある断熱材なのだ。
次に、木の繊維なので湿気を吸ったり、はいたりできる。つまりゆっくり呼吸するのだ。
これまでは断熱と気密はセットで考えられてきたが、発想の逆転がある。外気をゆっくり通過させ、自身に蓄えた熱で暖めて室内に入れるという冴えた理論転換がある。これをDynamic Insulation(熱移動する断熱体)という。
これまで、ミリ単位の建材レベルで考えられてきた断熱理論は、ナノ単位の物性レベルのアイデアにより価値転換が起こりそうな予感である。
「ミリ単位にこだわる匠」もよいが、建築という専門領域を客観的にみなおす、謙虚さも重要だ。
しかし建築には常に時間の中での検証も必要だ。この新しいアイデアの有効性を「実感」するためには、今しばらく我々の側の研究が重要となる。
                                                                            
写真上:カラ松のチップと樹皮
    カラ松とステンレスの骨組み
    きのせんいの外壁とやね
    くま、にいちゃん、おとうと
    トウモロコシ燃料のバイク
N.F

PP Collaboイベント【GXRタッチ&トライ・写真展・ワークショップ】

p.b.V併設のcafe me, weにてイベントがあります。
PP Collaboイベント【GXRタッチ&トライ・写真展・ワークショップ】
開催日2月13日~14日 12:00~18:00(最終日17:00まで)
このイベントは、写真雑誌「PHaT PHOTO」の編集者、写真教室を主宰しているフォトグラファーと一緒に参加者が写真について語るイベントです。
ワークショップでは、レクチャーを受けながら日々の風景をアートに撮影するテクニック等が学べます。
さらに、リコーから出たばかりのデジタルカメラGXRを使っての撮影も行えます。
また、開催期間中は時間帯によっては、自分が日常撮った写真を写真のプロの方に見てもらいアドバイスを受けることもできます。
だれでも、写真をうまく撮りたい。
何時も自分が撮っている写真に物足りなさを感じる。
どうやったらうまく撮れるのかわからない。
という風に感じている人はいるはず。
この機会に自分で撮る写真のレベルを一つ上げるレクチャーを受けてみませんか?
また、写真を始めたばかりという方も参加しやすいように、初心者を対象とした時間も設けてあります。
お気軽にお越しください。
詳しくは此方から→ http://www.ppcollabo.com/index.html
私もこのイベントに一参加者といて参加します。
最近思うことは、写真が手軽になればなるほど、自己満足としての写真が増えていくように感じます。
それはそれでいいのかもしれません。
でも私は、趣味であれ自分の撮った写真で人を驚かせたいし感動させたいという欲があります。
人に見せるという、外に自分の思いや考えを出し、それを自分以外の人がどう受け取るのかを体験することは+αの経験を伴って自分に返ってくると思います。
その自分の考えと違う思考に触れることで、自分では想像もしない世界の広がりをもたらしてくれるはずです。
まして、p.b.Vとme,Weという異なる業種に属していながら同じ空間で仕事をする場を職場としている私自身、異なるものから生まれる世界の広がりを日々実感しています。
そうした経験が自分の写真に深みを出してくれるものになると思います。
そして、その深みが人におっと言わせる写真が撮れるようになる素になると信じています。
さらに、その深みは建築へと繋がっていくのかもしれません。
M.T

ホワイトマット

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     「はーい、ラグビーはじめまーす」
     「うぃっ~ス」
     「思い切り、ぶつかりあってくださーい」
     「うぃっ~ス」
     「ニュージーランドの人も、フィージーの人も、がんばってー!」
     「うぃっ~ス」
     「ふかふかのマットをしいておきました。ころんでもOKでーす。」
     「・・・雪でしょ、これ。せんせい。」
     「うぃっ~ス」
      というわけで、北海道では冬のめぐみのおかげで、ラグビーです。
      雪のマットは最高の床材に早がわり。
                                                    
写真は全道雪中ラグビー大会の決勝。社会人No.1を下して優勝したのは札幌山の手高校ラグビー部。
パチ、パチ、パチ、パチ。N.F

形に込められた美学

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ルゥーシー・リーという作陶家をご存知であろうか。
私は最近、彼女の作品に出会い、一気に惹き込まれた。
まるで昔から知っていた人のように、すぐ隣にいる人のように。
私の中にすんなりと感動を呼び起こした。
                                                                                                                                                                            
繊細で力強いフォルムと未知な色の数々が融合してできた釉薬。
無駄を極限まで省いた姿。
                                                                                                                                        
この「かたち」に込められたものは何なのだろう。
この「かたち」を生み出すのに、いかなる修練がいるのだろう。
                                                                                                                                                                                                                       
       
ルゥーシー・リーの作陶活動は決して順風満帆ではなかった。
第二次世界大戦の勃発とともに、彼女は弾圧を受け、生まれ故郷のウィーンからロンドンへ移住。ガレージを改装した工房をつくる。
しかし戦況は悪く、生活のために実用的な衣服のボタンを陶器でつくることを思いつく。
ここで様々な形や色を生み出し、実験的にたくさんの釉薬が生まれた。
戦後、また器の製作へ戻るが、彼女の作品にはフォルムだけでなく、釉薬の美しさも目を見張る。戦時中にボタン制作で生み出した釉薬がここでも活きたわけだ。
釉薬をぬり、釜で焼くことで想像を絶する美が生まれることを、彼女は科学の実験のように楽しんでいた。小さな体から生み出すフォルムと、作陶への熱意、喜びが彼女の作品からひしひしと伝わる。
                                                                                                                                                                                                                     
ルゥーシー・リーの作り出す器はなんと簡潔で、薄く、壮大なのであろう。
そこには、洗練されたシンプルなフォルムだけではなく、温かみややさしさ。
無限の力。本質が備わっているのである。
彼女は様々な邪念を研ぎ澄まし、「かたち」を生み出す。
彼女の全てがひとつの器を生み出す。
                                                                                                                                                                                   
「暮らし」とは、そのような精神を身につけることによって豊かになるのではないか。
彼女の「暮らし」は簡潔で質素なものであった。
教会から借りて改装した工房に住み、照明器具は電球に紙を巻いたもの。
回りには必要なものしかなく、自分のつくった器に囲まれていた。
彼女自身が「暮らし」であり、そこから生み出されるものがルゥーシー・リーの器であった。
                                                                                                                                                                               
私にすんなりと入ってきたものは、彼女の生き方であり、「暮らし」であった。
器であれ、建築であれ、万物「形」に込められた美学は無限へとつながるのである。
今年はルゥーシー・リーの展覧会が開催される。
彼女の美学に出会えることを楽しみに。
Y.T.

暮しの手帖

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書店にて雑誌「暮しの手帖」のバックナンバーを見かけた。
「暮しの手帖」の創刊は1948年。
戦争も終わり、これから人々が「暮らし」というものを手にしようとする時代である。
この創刊には女性たちに「暮らし」を大切にしてもらいたいという願いがこめられている。
「暮らし」とはなにか。
生きていくために必要な生活とは違う。
生きていくために必要な仕事とも違う。
「暮らし」とは、生きていくためにさらに必要なもの。
光や風であり、食事であり、家族であり、笑顔であり。
「暮らし」とは、心身ともに豊かになれるもの。
「暮らし」は無数に存在し、その中から人それぞれの「暮らし」を見つけ出す。
手づくりのおいしい料理をひきたたせる器。食材。
家族が顔をあわせ、笑顔をうむ場所。家具や道具たち。
自然と対話できる花器や花。香り。
会話の源となる本。
豊かに食事をする「場」。
たくさんの会話や笑顔がうまれる「場」。
自然と対話する「場」。
自然の脅威から守るための箱だけでは人は暮らしていけない。
人それぞれの「暮らし」を得るために、私たちは「場」をつくっていたのだと気付く。
そして人それぞれの「暮らし」が始まる。
                                                                                                                             
                                                                                                                           
                                         
「暮らし」を切り口に語られる「暮しの手帖」は大変興味深い。
数々の「暮らし」が60年分詰まっているかと思うと、その記事に敬意を表する。
そんな数々の「暮らし」の中から気になる人を見つけた。
この偉大な人の話はまた後日。
Y.T.

卒業設計、制約なき選択3

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今年もこの季節がやってきた。卒計発表会は学生生活でボヤけた自分に輪郭を与える一大イベントである。
建築家を目指すということとは何の関係も無い。自分の実感を他人に伝えることが出来るか否か。それが論点だ。私は北海道大学の非常勤講師として毎年この行事に立ち会う。
全43名、模型や図面という手段で自らの実感を伝えるプレゼンを行った。今年、聴く側の私は自分なりのカウンターテーマをもって臨んだ。それは「Poor さ。」
世界中につくられて来た美術館など、能天気でピカピカで金のかかった公共施設のリッチさに、私は抵抗感をもってきた。これは私の「実感」である。
未来の建築は「Richな構想をPoorなつくりで」実現する、冴えと謙虚さが必要だと私は考えている。発表会では、私自身の問題意識を卒計にカウンターとして当ててみようと考えたのだ。
                                                                  
互いの実感をぶつけ合うと、そこに客観的な視点が生まれる。日常の仕事では茶飯事だが、卒計においても同じだったことに喜びを感じた。結果、それが私にとっても大切な収穫となった。
                                                     
全員について語れないので、その収穫が何であったかについて記録したい。私は43案をザックり2つに大別した。
   ①出来上がった建築の構想を説明する
   ②建築の出来方についての構想を説明する。
そして双方の中に、Poor であるものを発見した。特に②においてPoor な感覚を持ち合わせている案に深く共感した。
それは従来の公共工事などの方式では建築がつくり難くなるだろうという、未来への危機感を潜在的にキャッチしている感度の高い構想だと思ったからだ。
上記の②に属して、しかもPoor な感覚を持ち合わせた案にしぼると・・・
URN案 : 子供用の小さなユニット玩具で、家具から街までつくろうという構想。
TKH案 : 滑走路のアスファルトを剥がしながら、植林し育てた木材で時間をかけてたくさんの家をつくる構想。
YNM案 : 街には空き地が大切!空き地の魅力的なつくり方の構想。
YMY案 : 斜面地の地下で木の根っこと共存する家のつくり方についての構想。
KGR案 : ひとつ屋根の下で4人の家族が小さな4つの家にすむ。家族のつくり方の構想。
①も入れると
STH案 : 楽しげな廃墟のような立体演劇公園の構想
HSB案 : 怪しげな廊下がリング状に積層して大きな家に街が詰め込まれたような建築の構想。
どれも「実感」がPoor さをともなって形となった案であり、「未来への客観的な視点」として見出せたことが収穫である。
                                                                       
思えばこの視点は去年の卒計から、いくつかの案に見出せた。
ISG案 : 古く小さな集落のような町並みを大胆にそして丁寧に施術した家々の構想。
ONM案 : 乾燥中の貯木材がそのまま学校になるという構想。
NGY案 : 砂洲で風化し、やがては朽ち果て肥やしになる、建築のなくなり方の構想。
                                                                                 
「未来への客観的な視点」は、実感をぶつけあうことから生まれる。学生に求めるばかりではなく、
教育者も輪郭のはっきりした「実感」をカウンターとして持たなければ、
建築学は斜陽学問になる。N.F
                                                                                               
写真手前は私。 服の胸には JKからもらったKia Kahi の文字。
(マオリ族の言葉で「一本の帆柱」・・・屈することない精神)
                                                             
最後に、ある学生が身の上に起こった不幸を乗り越えて、
発表のステージに上がった精神力に敬意を表したい。