現場だより

建設現場にて.jpg

これは建設現場のような「教育現場」である。私は北海道大学の非常勤講師として約11年間、図面無きこの現場で迷走してきた。
 
しかし、長かった現場監督の任から解放される時が来た。完成することは決してないが、解放されるのだ。
 
現場というからには、待ったなしで何かをつくっているわけだが、それは建築そのものではない。
体を張って建築をつくる「人材を建設」しているのだ。
 
本当の建設現場の様に、監督は慎重かつ大胆に、タタいたりナゼたりしながら、徐々に人材をつくり出していく。
 
現場監督に着任後早々、格好をつけた話しなんて素材には全く響かないことに気付いた。じゃあ、どうするのか?指針となる図面など存在しない。その都度、その瞬間、最適と思える建設方法を試してみる。
 
最初はクビを覚悟で色んな方法を試みたが、5年ほどたってだんだん怖くなって来た。経験を積むに従って、学生の心の中が読めるようになって来たからだ。
 
学生の反応に敏感になれば、建設方法についても慎重にならざるを得ない。
 
言葉が鈍る。脚がすくむ。
 
そんな葛藤を3年ほど繰り返し、ようやく次の建設方法が見えてきた。
 
それは「言葉を研ぐ」こと。じっくり間をとって、実感をもって答え切れるまで我慢するという、私自身にとって辛い訓練を必要とした。
 
学生の心に響く言葉。整理されてて、勢いがあって、ユーモアも引き連れた、そんな言葉。
 
何となく習得できた所で現場監督の交代である。信頼できる人材にバトンを渡した。
 
 
現場監督最後の日、今日も学生はドロドロになって、模型をつくり、図面を描き、決死のプレゼンを行う。この風景は11年間変わらない。
この状況で頼れるものは、やはり「研がれた言葉」しかない。
 
現場終了後、教員や学生と飲み倒した。解放感からか、
最後は一人で深夜まで飲んだ。
次の日は無口だった。発する言葉が枯れたのか?
いや、たんに二日酔いだったから。N.F 

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