ブルーな石蔵 /kro 積丹 (Vacation meeting&Gin bar / Shakotan / 2016-  )

ブル―な石蔵といっても、特に建築物がヘコんだり落ち込むわけではない。
日中は白い光に満たされる空間が、日没間際にブルーに包まれるという話である。


この数年間無人の石蔵は、孤独にブルーな時間を経験していた。

一方、積丹半島のボタニカルから生まれたジンの蒸留が始まった。
ジンのラベルには積丹の海の青さが「炎」として刻印されている。
アツアツの炎が冷え冷えとした海の色で燃えるのだ。
矛盾を背負うものだけが発するオーラを感じる。
当社はこの地域発の企業を支援したい思いに加え、当社自身の仕事拠点拡張のため
石蔵に投資することにした。


ガランとした空間に舞台セットと家具を置き、パーティーや商談、仕事に兼用できるようする。

家賃や財産区分、運営利益の分配など決めないでまずは工事をはじめる。
だれに何と言われようとも「はじめる」。

生け捕られた景色/小林牧場ミルクプラント(Milk processing plant/ Ebestu/ 2018-2021 )

「窓をつくることは、景色を生け捕ること」             絵 エドワード・ホッパー「小都市のオフィス」1953

 

私が好きな窓、その1
自宅の窓から見える「生け捕られた景色」
ビルの背中ばかりで街の様子は全く見えない。
宙に浮かんだ中庭。

 

私が好きな窓、その2
オフィスから見える「生け捕られた景色」
街の様子しか見えない。
電力会社の不愛想なビル、銀杏の木、まぶしそうに歩く人。

 

私が好きな窓、その3
行きつけ居酒屋2階の特別室から見える「生け捕られた景色」
商店街のくたびれたアーケード、業態不明の渋いお店、ほろ酔いで帰路に就くカップル。

 

小林牧場の広い敷地に向こうには深くて濃い原始林が見える。
これをどの様に「生け捕るべきか」

最終的にはこの様に「生け捕った」

美味しいソフトクリームを片手に、カウンターに肩ひじをついて、少し背中を丸めて、視線を上げれば
「生け捕られた」生きのいい景色が横たわっている。

「室」から「館」へ /津別町図書館 (Library/ Sapporo / 2020-)

屈斜路湖の西、津別町公民館の一角にある図書室。
約6万冊の蔵書の一部が丁寧に並べられている。
本との距離が近く感じるのは、並べ方に「読んでもらいたい」スピリットが注入されているからだ。

さてこの度、長年(一説によると40年間)の念願が叶い「室」から「館」にジャンプする。

図書館は単独建設ではなく、スーパーマーケットや交通ターミナル、ドラッグストアと一つ屋根の下に入る。
事業コンペでの我々の提案は、、、

決まった面積の中で機能や部屋の用途に拘束されない、自由に使える共用部を出来るだけ広くつくる。
これだけに集中した案である。

現在の図書室前にある心地良さげな漫画と新聞のコーナー。

公民館のロビーにあるので、図書室が閉まっていても自由に使える様になっている。
要するに、これだ。

まずは40年の念願、悲願の心をひたすら聞く事になる。

12Rooms/カムオンホール(clinic+day care+concert hall / Sapporo / 2007~)

デイケアを兼ねるカムオンホールはメンタルクリニックが運営している。
ホールもデイケアもクリニックもオープン以来フル稼働である。
大地震による停電の時も、現在のコロナ禍にあってもその状況は変わらない。
従ってクリニック部門の25㎡ほどの待合室は常に満杯である。

その25㎡のスペースをさらに12の部屋に分割したいという要望があった。
飛沫感染を防ぐためである。
部屋といっても、超が付くほどコンパクトにしなければ納まらない。

これは昔つくった図書館の席である。

古い椅子を板で仕切ることで「Room」にしようとした。
周囲からは丸見えだが、座ってみると不思議に個室感があり、
読書マニアの居場所となっている。

 

今回はさらにコンパクトな設計が必要だった。

幅60センチ×奥行60センチ×高さ135センチの「Room」に体の70%ほどが納まる。
このユニットを回転させながら連結し、25㎡にびっちりと充填する。

設置は1時間、しかし構想は3カ月、、
いくら図面や模型で事前検証しても、試作品を眺めてみても
最終的に立ち上がる雰囲気はわからない。
眠れない日が続いが、構想時の予想を超える魅力的な待合室が出来た。

25㎡を12に細分割することで、
全体が一望できるのに誰とも視線は合わず、
周囲からは丸見えなのに個室感があり、
行き止まりの様で先がある、、
気の利いたパズルの様な場所が現れた。

「制限」解除/SIL(NTT Small office reform/ Asahikawa/ 2020-2021 )

SILとはスマート・イノヴェーション・ラボの略で、NTT東日本が展開する事業名である。
直訳すると、、、冴えた・技術革新を促す・実験室。となる。

旭川中心市街地の劇場やホテル、商店が複合する「ザ・昭和のビル」の一角にある20坪の小部屋で
子供向けのプログラミング教室やスモールコワーク利用や館内のe-スポーツスタジアムとの連携を行う
設計から完成まで1.5カ月・・・

プログラミング、スモールコワーク、e-スポーツという「実験」がカタチにどう関わるのか?
考えに考えたが確信や実感が持てなかった。
しかし一方で設計期間や工事条件に関する厳しい「制限」をどう解除するかを思案するうちにある結論に至った。

コンセプトは早い、巧い、安い。

これは我々が培ってきたリフォームの鉄則でもある。
① 早い → 工場で作ったピースを現場で素早く設置
② 巧い → ありふれ過ぎた素材に「命」与える技術
③ 安い → 早くて、巧い。。と来たらもちろんコレ

・・・知的なコンセプトとは程遠いが、「制限」を解除する我々の経験やスキルを総動員した結果、
こんな風になった。


減量から筋トレへ /kro 積丹 (Vacation meeting&Gin bar / Shakotan / 2016-  )


自らの石の重みで倒壊しそうになった石蔵を、補強ではなく減量という方法で何とか救い留めた。
その結果生まれた「明るい石蔵」という矛盾と魅力を持つ空間はどんな用途にも使えそうに見えた。
しかし、それがむしろ漸進を阻んだ。使用方法に決心や覚悟が伴わないのだ。
それから3年経つうちに、積丹半島でオリジナルジンの蒸留が始まった。
淡い光に満たされ音が良く響く石蔵は、最低限のフレームを入れることで
ジンと音楽と仕事と遊びの拠点として使われることになった。

倒壊危機 → 減量 → 筋トレ

ここまでに約5年の歳月がかかった。
筋トレの次は?
もちろん実戦だ。

長くて高い空間/旧久保内中学校玉ねぎ加工場(Onion processing plant/ Sobestu/ 2017- )

この地域で生まれた大量の玉ねぎは、かつての中学校で「選別・貯蔵・皮むき・焙炒」のプロセスを経て育ち
この地域から巣立っていく。
新旧の建築が一筆書きの様に複雑に連結され、その中をフォークリフトが動き回り、玉ねぎが積み上げられるのだ。
この長~くて高~い空間を、風雪や熱や光から守ることが我々の使命である。
「この仕事は簡単じゃないよ。うまく俺たちを活かせるかな?」
長い間子供たちを見守って来た大時計は、今は現場を見張っている。

「ふる里」の理由2/居酒屋ふる里(public house/ Sapporo/ 2012-2020 )

「ふる里」の活気は「手間と情報」が震源だ。
だから建築的なアイデアは不要だと感じていた。
しかしそれは間違っていた。
整理が必要な大量の「手間と情報」のほうこそが、建築を必要としているのだ。

以下が2012年の取り組みの要点である。

一つ、通りから店の奥までよく見えること。
一つ、店の守護神に降臨してもらうこと。
一つ、手間仕事を集約すること。
一つ、日々の品書きを主役にすること。
一つ、舞台役者を引き立てること。

2020年へ続く。

「ふる里」の理由1/居酒屋ふる里(public house/ Sapporo/ 2012-2020 )

水産会社が経営する居酒屋ふる里は、40年(ほど)続く地域密着店である。
マニアや追っかけ的常連の「漁礁」の様なお店の改装は
大変だろうなー。難しいだろうなー。
依頼が来たら逃げるしかないよなー。
そんことを思いながら無名の客として飲んでいた。
しかしわからないもので、2012年と2020年の2回にわたり漁礁に「メス」を入れるはめになった。

この仕事の難しさの本質は何か?
それはこの店の魅力の発信源が「手間と情報」であり、
「建築的なアイデアや構想力」はほとんど必要とされてなかった点にある。
しかし、本当に必要とされていないのか?
この問いから長ーい試行錯誤がはじまった。



そして「手間と情報」の決定打はこれである。

本物のニセモノ/小林牧場ミルクプラント(Milk processing plant/ Ebestu/ 2018- )

料理の味見でいつも「何か足りない」と感じる方。
衣服の試着でいつも「何か足りない」と感じる方。
貸家の内覧でいつも「何か足りない」と感じる方。
もしあなたがモノづくりに従事する人なら「面倒くさい」人かもしれない。
「何かを施そう」とするからだ。

ここに安価な外壁材がある。表面は板の様だがニセモノだ。
しかしニセモノであることが問題ではない。
大問題は「何か足りない」と感じてしまったことなのだ。
何が足りないのかは、建材の全長を眺めてわかった。
「本気のニセモノ感」がないのだ。
「ニセモノとしての心構え」が希薄なのだ。
「死に物狂いのホンモノ気取り」が、、、
良く判らなくなってきたが、つまり立派なニセモノに育てるために魂を注入する必要があるのだ。

そこで旧知の凄腕にたのんで「注入」してもらった。
凄腕の刷毛裁きは、平面を立体に、樹脂を錆鉄に、新材を古材に化けさせる。

貼るとこんな感じだ。

ホンモノの素材を使いながら、ニセモノの悪口をいうより、
ニセモノに本物の魂を注入してやることの方が、よほど慈悲深く誠実であると言えまいか。
言ってもいいのではないか。
言ってもバチはあたらないのではないか。。。