「ふる里」の活気は「手間と情報」が震源だ。
だから建築的なアイデアは不要だと感じていた。
しかしそれは間違っていた。
整理が必要な大量の「手間と情報」のほうこそが、建築を必要としているのだ。
以下が2012年の取り組みの要点である。
一つ、通りから店の奥までよく見えること。
一つ、店の守護神に降臨してもらうこと。
一つ、手間仕事を集約すること。
一つ、日々の品書きを主役にすること。
一つ、舞台役者を引き立てること。
2020年へ続く。
「ふる里」の活気は「手間と情報」が震源だ。
だから建築的なアイデアは不要だと感じていた。
しかしそれは間違っていた。
整理が必要な大量の「手間と情報」のほうこそが、建築を必要としているのだ。
以下が2012年の取り組みの要点である。
一つ、通りから店の奥までよく見えること。
一つ、店の守護神に降臨してもらうこと。
一つ、手間仕事を集約すること。
一つ、日々の品書きを主役にすること。
一つ、舞台役者を引き立てること。
2020年へ続く。
水産会社が経営する居酒屋ふる里は、40年(ほど)続く地域密着店である。
マニアや追っかけ的常連の「漁礁」の様なお店の改装は
大変だろうなー。難しいだろうなー。
依頼が来たら逃げるしかないよなー。
そんことを思いながら無名の客として飲んでいた。
しかしわからないもので、2012年と2020年の2回にわたり漁礁に「メス」を入れるはめになった。
この仕事の難しさの本質は何か?
それはこの店の魅力の発信源が「手間と情報」であり、
「建築的なアイデアや構想力」はほとんど必要とされてなかった点にある。
しかし、本当に必要とされていないのか?
この問いから長ーい試行錯誤がはじまった。
そして「手間と情報」の決定打はこれである。
料理の味見でいつも「何か足りない」と感じる方。
衣服の試着でいつも「何か足りない」と感じる方。
貸家の内覧でいつも「何か足りない」と感じる方。
もしあなたがモノづくりに従事する人なら「面倒くさい」人かもしれない。
「何かを施そう」とするからだ。
ここに安価な外壁材がある。表面は板の様だがニセモノだ。
しかしニセモノであることが問題ではない。
大問題は「何か足りない」と感じてしまったことなのだ。
何が足りないのかは、建材の全長を眺めてわかった。
「本気のニセモノ感」がないのだ。
「ニセモノとしての心構え」が希薄なのだ。
「死に物狂いのホンモノ気取り」が、、、
良く判らなくなってきたが、つまり立派なニセモノに育てるために魂を注入する必要があるのだ。
そこで旧知の凄腕にたのんで「注入」してもらった。
凄腕の刷毛裁きは、平面を立体に、樹脂を錆鉄に、新材を古材に化けさせる。
貼るとこんな感じだ。
ホンモノの素材を使いながら、ニセモノの悪口をいうより、
ニセモノに本物の魂を注入してやることの方が、よほど慈悲深く誠実であるといえまいか。
言ってもいいのではないか。
言ってもバチはあたらないのではないか。。。