光ろ過2/空知建設会館(office renovation/Iwamizawa/ 2020 )

「光をろ過する」とはどうゆうことか?
この面白そうな言葉に負けないよう、追い越されないよう、お遊びにならないよう、
そして確かな道具に出来るよう、問い続けなければならない。

これは8世紀前の教会の窓からの光。あまりに有難い。暗くてカメラで撮れないので手で描いた。
丁寧にくり抜かれた石の表面を伝いながら入って来る光は、
外の曇り空で感じた光とは違って「有難く」見えた。なぜだろう??立派な教会だからか???
この教会の石は非常に硬くて重く、建設には途方もない時間と労力と人命を要したということだ。
だから、窓を丁寧にくり抜くという作業は熟練石工にとっても修行だと言える。

私に描かせたのでは光の美しさではなく、石の表面に刻まれた仕事の質の高さだったのである。
物質の表面を伝いながら、ろ過されるのは光ではない。
恐ろしいことに、仕事の質が光によって顕わにされるのだ。

つまり、光が人間をろ過する。
なんと、恐ろしい結論。

そんな理屈をこねている間にも、現場では丁寧な光のろ過作業がすすむ。

石をピンポイントでクリ抜いて、格子の下端と床に隙間をつくることで、
光が伝い、そこでもこの現場の非常に丁寧な仕事の質を顕わにしている。