2009年8月アーカイブ

M.Oのこと

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30歳にして才能を発揮していた建築家M.Oは1996年春、活動の地をサッポロからイタリアに移した。「サッポロは自分を鍛えないから。」と言い残した。地方都市には刺激が少ないというよくある話しではない。M.Oはおそらくこう云いたかった。「建築を脅かす状況がサッポロにはない。」

刺激ではなく脅威。

戦争や天災、資本移動などの歴史的な変転の中で世界中の都市は翻弄されてきた。そしてその都度建築はギリギリの存在形式を発見し都市の輪郭となってきた。
人類史の宝とされる遺構や世界の観光原資を見れば理解できることだ。

現代都市において重要なのは脅威の残像と今もなお人間の生活が向き合うことである。もちろん生命に対する直接の脅威ではない。現代建築が脅威の残像の翻訳者となること。都市が翻訳としての建築を重要とみなすこと。これらが都市文明が暴走しないための鍵となる。
脅威の残像と建築がいかにシンクロできるか。その方法論が未来の建築理論となる。

M.Oが渇望した脅威の残像はサッポロに見出すことは出来なかった。それはM.Oにとって建築家としての死を意味した。

岬の夕焼け.jpg1644本州北部「正保日本総図」F.jpg
地図作成にあたり、国政システムが及んでいた松前を起点にホッカイドウを周回しことが伺える。眼前には入江、河川、半島、断崖、先住民集落などが次々に展開し、そのいくつかは圧倒的な景観として地図に記録された。調査のための周回航路は見ごたえのある映像体験である。そして測量技術のない地図作成は一連の残像を並べる作業に等しい。

エルモノ崎、トカチカワ、アッケシ、ソウヤ、テシオ、イシカリ、カモイノ崎、松前、そして外周部に浮かぶ島々。霧や夕陽により表情を変化させる景観は地平の内側の大きな原野を想像させるには十分であった。

その後200年ホッカイドウの地勢把握は外周部の残像体験記録のままであり、内側の空間に踏み入ることはなかった。

正保日本総図.jpg
ここに一枚の地図がある。ホッカイドウの姿は現実とは似ても似つかない。形がこうも違うと、全体としても日本とは別人格の印象を受ける。
私にはサッポロに都市としての魅力がないという感覚がずっとあった。その一方でホッカイドウには建築をつくる場所としての地勢的ダイナミズムと不可視のパワーを感じてきた。そしてそれが建築の未来を考えるに当たり示唆的であり、また世界的に通用する建築理論を生むのではと考えてきた。これまで容易には糸口は見つからなかったが、この異様な地図がその手掛かりを与えてくれた。

世界が近代化する前夜においても地理的に全く把握されていなかったホッカイドウ。21世紀、拙速で矛盾を孕んだ近代化が実行された場所として日本の北に大きな島群として存在している。
その間に建築はどのような変成を受けたかが本論のスジだが、しばらくは異様な地図の顛末をたどりたい。