Napier New Zealand

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napier ①.jpgニュージーランド北島の南東沿岸部に位置する、ホークスベイ地方の都市ネイピアは、小ぶりで愛らしい街並みが特徴である。

ダウンタウンはアールデコ様式の建築で統一されている。

もしあなたが街並みマニアなら、ビーチ沿いのカフェでワイングラスを傾けながら、こう感じるかもしれない。

 

― 綺麗だけど不自然。

 

その理由、、この街はリセットされている。

 

 

 

1931年2月2日AM10:47 M7.8の直下型地震がネイピアを襲った。

  

napier-map.jpg

 

 

街の大半は壊滅した。 

 

壊滅した街.JPG

しかし復興にはスピード感があった。

 ①建物は鉄筋コンクリート2階建て

 ②外観デザインはアールデコ様式

 

この方針で建てまくった結果、ほぼ1年で都心の商業エリアは息を吹き返した。

 

「綺麗だけど不自然」なのは、街の建築物のほとんどが構造・規模・様式・建設年代が同じところに起因する。

 

しかし、リセットされたのは街並みだけではない。

この地震による地殻変動で湿地帯だった湾の大半が2-3mほど隆起した。

つまり、「使える」土地に変貌したのだ。

 

空路で南下しながら空港にアプローチするとき、眼下には工場や住宅地が見える。

眼下の湾.JPG

隆起によって出現した産業誘致や宅地開発のためのタネ地が、街のリセットを支え続けた正体なのである。 

 

ワインセンター.jpgホークスベイのシャルドネワインは本当においしい。

 

マニアである我々は、眼前の愛らしくも不自然な街並みを眺め、

同時に1931年2月2日の地震の衝撃を想像しながら、再建のスピード感をも実感し

さらには隆起する以前の湿地帯の姿にも思いを巡らさなければならない。

 

頭の中は忙しいが、美味しいワインのツマミには事欠かない。

 

 

 

Canto Ostinato

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Canto Osinato 1.jpgCantoは歌。Ostinatoは反復。

Canto Ostinatoはオランダ人の作曲家Simeon ten Holtによるピアノ連弾のための楽曲である。

2秒弱のシンプルな旋律が延々と反復される。

 

どれくらい繰り返されるのか?

2時間から24時間、それは演者の体調とノリ次第。

 

あなたが着席すると、4台のピアノと照明器具がセッティングされている。

演奏は静かに静かにはじまる。

それはまるで、朝陽とともに暗闇から姿を現す「波」の様である。

 

 

Canto Osinato 02.jpg

 

時間の経過とともに旋律は強弱を帯び、

南中の陽光と波が幸せそうに戯れる光景を思わせる。

 

  「一度たりとも同じ波なんて無いんだ!!そうだ。そうだ。。。 」

あなたは海を眺めながら、かつて一度はこう思った発見をここでも繰り返す。 

 

恋人とのこと、探し物の心配、今晩の食事、健康診断の結果など

日常の些末なことも脳裏を去来する。

さらに時間は経過する。

 

Canto Osinato  03.jpg一時間以上を経て、旋律は直射日光の熱を冷ますように沈静化し、

同時に雑多な感情は消え、再び旋律に神経が集中しはじめる。

そして、いよいよ曲の収束を予感が。

 

照明器具は開演時から、実はゆっくりと輝度を下げており、

気付けばすっかり暗くなり、日没の最後の一滴を残すのみとなった。

ついに光も音もフェイドアウトし演者も消える。

 

2015年3月11日 私はこの楽曲を向井山朋子さんの演奏で聴いた。

3.11、寄せては返す波動への想いを新たにしながら。

 

Canto Ostinatoはyou tubeでも体験できます。

一切何もせず、反復に身を委ねてください。

時間の流れ自体には何の意味もなく、歴史や記憶を創り出しているのは

人間であると気付くのです。

     美の巨人たちかっ!?

      (´o`;

 

 

 

 

 

Hotel chopin paris

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hotel chopin ①.jpgパリの街にはパサージュと呼ばれる「通り抜け商店街」がある。

路地の様なアーケード街で楽しく怪しいお店がひしめいている。

人口が増えた18世紀に不動産事業者やビルオーナーが建物の隙間を賃貸物件に転用するという

掟破りのアイデアから生まれた。

パサージュ・ジェフロアは地図の中央に描かれているL字にクランクしている部分だ。

右手の大通りから入っていくと、、、

hotel chopin ②.jpg

ここは大阪の天満商店街かア!?  それくらい狭い。

クランクの突き当たりまで行くとHotel Chopinがある。

フロントには男前のオーナーがいて、奥に案内してくれる。

スケスケの鉄籠のエレヴェーターで2階にあがり、廊下を玄関付近あたりまで戻る。

で、あなたは部屋に入る。

そして荷物を置いて、トイレに行く前に、、

いろいろやりたいことはあっても、窓をあける!

hotel chopin ④.jpg

するとパサージュの屋根、大通りの建物の背面が現れる!!!

(意味不明の興奮だが。。。)

華やかに見えるパリの裏側だけしか見えないのだ。

物事には表があって裏がある。

裏を知らないと、表の本当の意味はわからない。

 

散歩帰りの夕方、ワインとツマミを買って、あなたは部屋に戻ってくる。

いろいろやりたいことはあっても、窓をあけてみる。

hotel chopin ⑤.jpg

パサージュの賑わう音を背景に浮かび上がる裏の景色。

もしあなたがマニアなら、この気配を満喫しながらワインの2本は速攻である。

 

最 終 写 像

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写 像.jpg

海面に反射した月光は、輪郭のボヤけた小さな衛星の写像である。
  
暗夜に光る月自体も、太陽光による写像の一部である。
  
そして波面の光は眼球に写像を結び、凝視という時間を経てついに「心に写像する」。
  
  
  
太陽 →→→→ 月 →→→ 海面 →→ 眼球 → 心

  
  
恒星の光は4回の写像を経ながら、人間の心に向かって徐々に距離を詰めるのだ。
  
建築にとって重要なのは最終写像の距離X。  
  
最終写像が最短・最速となるように建築をセットしなければならい。
  
最終写像が切断されるような環境はご法度だ。  
  
超遠方と己の距離を見失うなら、
脅威への感度は下がる。  
  
  
「見える」と「見得る」のは違う。  
  
  
最終写像を「見得る」に結実させる建築こそ、
未来への「問い」である。  
  
  

無    名 

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1st-Room=原野に初めての都市と建築をつくるために全国から大勢が参じた。
                                    
ウデに覚えのある者、スネに傷を持つ者。
                                        
                                                                   
「匿名」とは自らを物陰に隠すこと。
「無名」とは己を白日の下にさらすこと。                                                                  
                                   
1st-Roomでは、身を隠す物陰などない。過去の技量も名声も無に帰す。
一人の人間として日夜、建築に向き合わなければならない。
                                                     
極度に限定された時間・資材・工法と向き合うことから生まれる建築は、
「己が刻印された無名」という矛盾をはらんだ形式をとる。
                                                                                  
いいかえれば、個性と一般性が同居する

どこか懐かしく、しかし未見の様相を呈するのだ。                                
                                                                       
己を無名に昇華する道程は、建築の未来を拓く武器でもある。                     

                                                                                

三つの境地

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1857年、Shimaは蝦夷の地を数ヶ月かけて周回し、1stRoom=原野に建築をつくる境地を得た。                                 
                                                
それらは「入北記」という日誌の巻名として数個の漢字に凝縮された。                                                

                                                                                             
                                                                            

「雨」「志」「施」
                                                                   
                                                                                                       
                                                                      
「雨」とは、自然現象のこと。気象予測もない時代、大きな空から容赦なく降る雨に、人は決して抗うことは出来ない。                                                                      
                                                               
                                                                         
                                               
「志」とは、構想力と意志の結晶のこと。独裁、柔軟、妥協。これらが一つの精神の中に矛盾無く同居するための接合剤だ。
                                                                    
                                                                                      
                                                        
「施」とは、恵みを与えること。Shima最高の収穫である。そして建築を造る究極の目標はここにある。

                                                                                            
そして、さらに踏み込んだ解釈をするなら・・・

刀で切りさばかれた様な筆跡が伝えていることは、単なる文字の意味だけではなく、1st Roomという究極の状況下で建築を造るためには、迅速と決断と冴えが必要であるという境地である。                                                             
                                                                   
遺構の建設のための準備は、この様にして徐々に心の内側から整って行った。

commit

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先住の民のcise(=住拠)の建設は1st Room(=原野)を強く意識することが起点となる。
                        
あるじ自らが地勢や地縁に積極的に働きかけなければ、建設地も材料の調達もままならない。つまり環境や歴史に「commit(=関与)する力」が試される建築なのである。
                         
そしてコミットするべき対象はkamui(=神)という不可視の存在にまで及ぶ。
                                                 
コミットするためには対象を熟知し感じることが必要だ。
多くの経験や知識は無論のこと、何よりも不可視の脅威に対する感度が重要となる。     
                        
笹、葦、ぶどう蔓、シナ縄、はんのき、ミズナラ・・・自然環境にcommitすることで獲得できる素材たちは、幾百年を超えて正確に反復される建設方法を支えてきた。
                      
長期に渡り反復出来たのは、先住民が「注意深いcommit」をしてきたからだろう。                              
                                 
建築物としてのciseは非常に脆弱である。 そしてその脆弱性は単なる物理的な耐久性という意味をはるか超える。
      
儀式として、主が亡くなると家は燃やされる。現物としてのciseは仮の姿であり、住人の消滅とともに不可視の脅威に向かって「返還」されるのだ。           
                                                              
ciseの恒久的仮設性は、不可視の脅威まで視野に入れた「注意深いcommit」の賜物なのだ。
                                                                         
「近代化」の恩恵に慣れた我々は、高度なモノづくりのコンセプトとして
強く、深く、注意深く「commit」する力を手中に納めなければならない。

遺構の建設

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遺構の建設.jpg


「俺の家の柱、どれ~っ!?」
「川岸から3番目の通りに積んである、それを使え!」
「梁はどこだーっ!?」
「隣の家に立掛けてある」
「ウっしゃー」
                                                                           
西暦1800年代も終わろうとするころ、ようやくホッカイドウの各地で都市の建設がはじまった。タテヨコの道をガイドラインに地道で途方もない作業の連続。明日への礎(いしずえ)として信じるに足る確かなものは原木資材であっただろう。
                                                                                 
「少し休むべ」
「おう。おれんとこの材木に腰掛けろや。」
                                                                                           

森や湿地、川原から調達する丸太、ごろ太石、樹皮、葦、そのようなPoorな建材を扱いながら、永劫の生命をもつ都市をつくる。つまり「遺構」の建設のはじまりである。                                      
                                         
「もうすぐ、冬だな。」
「いそぐべ。」
                                                     
冬が来るまでの限られた建設期間をフルに活用するための精密な作業工程が練り上げられたに違いない。
                               
原木の流送、荷揚げ、乾燥、製材、組立て・・・
輸送鉄路もない時代に数十キロ先の森林と眼前の作業現場と限られた季節。

距離と時間と途方もない作業。究極の掛け算の中に「未来の遺構」は徐々に形をあらす。

                                                     
書きかけ中

ラップする遺構

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鉄は潮風に弱く、薄い波板は強風に耐えられない。この常識を逆手にとり、相手の強打をスウェーバックでかわすアウトボクサーのように、脆弱さを見方につけて、この住居は自然浸蝕と対峙している。

鉄やプラスチックの薄い波板は建築の外壁というより、むしろラッピング材だ。骨組み本体は幾度の拡張を重ね原形をとどめてはいない。その都度表面はラッピングされて空間拡張されている。

ハナレの様な作業場が、透明なプラスチック材で簡便にラップされていることが、それを物語る。

「拡張も縮小も自在」といった融通性・仮設性を武器に、対抗不可能に思える自然と対峙する建築である。


かつて自然の脅威に一度は淘汰されたかの様なこの建築は、逆に未来永劫に存在しえる「遺構」のオーラを発散しながら、テシオの沿岸に建つ。

夢みる遺構

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恋するイコウ.jpg
確かこの辺りからの眺めだったろうか。河川敷きに木材がひしめき合い、ぶつかり合う音を街中に響かせた場所は。それも「今は昔」のこと。老人はそう懐かしんだかも知れない。

                                                                
あるいは、この街が消滅するのではと、未来に少し不安を抱いたのかも知れない。

                                                                                                                                       
ある晴れた日、海と河と原野に囲まれたテシオの街を歩きながら、老人は想像を巡らせた。

・・・のかも知れない。

テシオは人間と都市の赤裸々な関係を想像できる糧として今もある。その媒介者は建築だ。