bible

バイブルが単なる愛読書という意味を超えて、消耗した心身に「気」を再注入してくれるソースだとしたら、
そこには二つの種類があるだろう。
ひとつは「落ち着き」を与えてくれるもの。
もうひとつは「動揺」を与えてくれるもの。
何をバイブルとするかは人それぞれだが、私の手元にあるバイブル(らしきもの)は後者に属する。

若い頃に通い詰めた東京下町の古本屋で偶然手にしたある建築家の作品集。
ドイツ語なので文章は読めないけど、魅かれるものがあったので買うことにした。
その魅力とはまさに「動揺」。
補足するなら不明瞭、複雑、無秩序、などからくる動揺。



新築なのか改築なのか、巧いのか下手なのか、美しいのか汚いのか、現実なのかおとぎ話なのか、、
経験値の少ない私の脳ミソは容赦の無い「揺さぶり」を受けた。

しかし購入から約25年、この「動揺」と向き合う内に、不明瞭、複雑、無秩序に見えてたものが
一塊の価値観として心に落ちて来た。




これらの図版をじっくり眺めていると、、、
「不明瞭、複雑、無秩序」は実は「明快、端正、秩序」との往復運動から編み出された
疑いようのない到達点。
つくられた建築そのものが「落ち着きを」秘めた「動揺」の産物なのだ。

そして驚くべきことがある。それは、、、
新しいとも古いとも判別がつかない理由は、廃屋や廃材をストックし活用していたことにある。
新しい部材を古い部材に調整なしに衝突させるという荒業も「動揺」の理由だ。

しかし、最後にもっと驚くべきことが、、、

おとぎ話の様な家々は、そのほとんどがある小さな村での出来事なのである。

バイブルとは「落ち着き」と「動揺」を兼ね備え、「現実」と「幻想」の境界を壊してくれる存在なのだ。
N.F
Rudolf Olgiati 1910-1995

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