「10年」で一言


才人が10年単位で世の変化を単純すぎる言葉で表現することがある。
それを聞いた我々は、出し抜かれたという嫉妬とともに「そういえば。。。」と納得もする。

先日、眺めていた建築雑誌の編集テーマはSuper Normal。
オランダを例に「超平凡」とか「凄く地道」な設計活動に焦点を当てたものだ。
この流れは、不動産投資が低調になった2008年以降の建設業界においては必然的だった。
新しい仕事の芽を求めて、小規模の改修工事やまちづくりを持前のアイデアと技術と熱量で
「平凡」や「地道」を超える次元に高める組織が増えたことをSuper Normalという言葉で捉えた。
嫉妬と実感と納得。

去る2月、卒業設計のプレゼン会において、ある学生さんの提案は以下の様なものだった。
「多雪地域の知恵である、雪割庇や風除室や除雪広場などの工夫を
数多くサンプリングし、今後のまちづくりの新たなデザインソースにヴァージョンアップする。」
地味さと野心の無さに好感を抱くと同時に、「地味さを何かに化けさせる」という世の流れに
共通するものを感じたが、残念なことに、それを単純な言葉で言い当てて
その学生さんを勇気づける力量が私には無かった。
Super Normal…これでした。

ちなみにその雑誌の巻頭文では「Super Normalの次はSuper Generic」と予言されている。
「すごく汎用性のある」「みんなが使える」と言ったところだろうか。
コロナ禍で生まれた、ソーシャルディスタンス, ステイホーム, オン/オフライン,
ドライブスルー, ロックダウンなどの自己防衛がSuper Genericなデザインとして
表現されていくことは間違いない。
具体例をあげる力量?、、、まったくございません。(>_<)
N.F

21LESSONSからのレッスン

今回は話題の著作の主張ついて論じることが目的ではないので、内容にご興味のある方は読んでみた頂きたい。悪しからず。
建築は規模の大小に関わらず、膨大な要素が複雑に絡み合うので、たとえ形状が複雑であっても伝達する方法がシンプルかどうかが成否に直結する。
その方法は必ずしも最初から用意されているわけではなく、途中で発見する(してしまう)ことが常だが、もし最後まで曖昧だったら結果は悲惨だ。運用がうまく行かないときの是正もできない。
この本の著者が伝えたい事は建築に劣らず気も遠くなるくらい膨大で複雑だ。人類や宇宙にまつわる壮大なこと。先端技術のもつリスク。我々の日常によくある些末なこと。
それらを一つの主張に方向づけ、わずか400ページで伝達するためには余程のスキルが必要だし、それが無ければ読者は早々に迷路に入り、伝わらないどころか読んでもくれない。

著者がとった「伝達するための4つの方法」は以下である。
①短文化
一文は1行から3行。たまに4行。日本語で50字から200字。短さは主語と述語の関係をわかりやすくし、自動翻訳機による粗訳の精度向上になる。
②接続詞の密度
短文を多彩な接続詞でつなぎながら連続的に主張が展開されるため、読む人の集中力はお付き合いを余儀なくされる。
そして、そのうえ、それとも、だが、しかし、ところが、たとえば、
一見すると、それゆえ、あいにく、だとすれば、とはいえ、たしかに、そもそも、
だからといって、そのため、ただ、では、じつは、もちろん、このように、
というわけで、それでも、とくに、もし、あるいは、それに対して、
③?の連発
短文を接続詞でつなぎまくっても限界はある。短文を「接続詞なしで接続する」冴えた方法。問いかけ形式の短文を連発するのだ。
〇〇の成果を享受し続けることはできるか?
〇〇抜きで手に入れることができるか?
それは〇〇を言いつくろったものにすぎないのか?
〇〇は生き残ることができるのか?
④逸話収集力
主張の多くは短くて興味深い逸話を例に展開される。かなりの時間と労力をかけなければ、コンパクトかつインパクトは表現できない。
あとがきには「古代のシナゴーグから人工知能まで、すべてを確認してくれた、研究アシスタントの○○」とある。

では、やってみよう。
21Lessonnsにおける①から④の手法は建築に応用が可能か?それともアレンジが必要か?だとすればそれは①から④のどの部分か?そもそも建築における短文とは?設計作業における接続詞とは?インパクトのある逸話とは形に材料や形で表せるものか?建築で?を表現出来たら最高に面白いが機能的ではないということか?

もう息切れ。意味不明。。。。N.F

STAY HOME 01


私より100歳上のデンマークの画家、ハマースホイ(1864-1916)は旅好きなのに宅好きだった。
旅か家かの二択で生きて行きたい私にとって、会ったことのない彼は無二の親友の様だ。
彼の画のほとんどは自宅で描かれている。
それも数か所の決まったアングルから時間と家具を変えて。
特にコペンハーゲン旧市街スランゲーゼ30番地の住宅はお気に入りで、立ち退きまでの10年間描き続けた。
今現在STAY HOMEしながら眺める画集は、まるで不動産屋の物件パンフの様だ。

しかしもっとよく見ると隣の部屋、隣の隣の部屋、その向こうの窓、窓越しの街並み、そしてその日その時間の天候までが克明に描かれている。
彼はSTAY HOMEしながら自分の居場所を外の世界に繋げるための「キツい闘い」を立ち止まることなく繰り返していたのだ。
STAY HOMEしながら、いやSTAY HOMEしているから出来た偉業だといえる。
友達になってくれるかなー?N.F