Tanizakiの戦略


出張や旅の出がけ、時間の無い中で何も考えずに偶然つかんだ 本が不幸にも
谷崎潤一郎であることが5年に1度くらいある。
そしてその後48時間は怒涛の愛憎劇に巻き込まれることになる。

巨匠の条件のひとつは「出力」の多さであるが、谷崎はそれどころではない。
句読点や段落はあるものの、1ページ目文頭から最後の一語一句まで語り手による独白に完全にモッて行かれる。
すこし芝居がかった、しかし押しの強い、それでいて弁の立つ演説に捕まった様なものだ。

つまり逃げられない。。。

読者を逃がさないTanizakiの戦略は、、、
①シームレス(つぎめなく展開する事件や場面)
②エモーショナル(登場人物が自らの感情の奴隷になっている)
③幾何学性(人間関係の配置や変化の美しさ)

①シームレスについては、20ページほど読めばすぐに予感できる。
②エモーショナルについても、50ページ読めば「感情による判断と行動」が愛憎劇のエンジンであることがわかる。
しかし③幾何学性については、愛憎のドロドロに巻き込まれている最中にはわからない。

物語の終盤になって、数人の男女が接近し離れていく構図が幾何学模様のごとく綺麗に感じられるのだ。

先日つい手にしてしまった「卍」も、二組の男女が複雑に入り乱れ、
その容赦のないドロドロの愛憎劇から逃れられなくなる。
しかし物語の収束を予感する終盤にさしかかるころになって初めて全体を覆う幾何学的な
デザインをなんとなく感じるのである。

「つぎめなくドロドロ」を最後まで一気に読ませるために、
Tanizakiが用意した戦略は万華鏡のように変化する幾何学だったのである!!

まあ、私がここで近代の文豪についてアツく語っても仕方ないのだが。。。N.F

Keanuの戦略


20世紀も終わるころ、キアヌ・リーブスは「マトリックス」で映像のデジタル編集を経験した。
そして10数年後、彼は「サイドバイサイド フィルムからデジタルシネマへ」を自ら制作する。
デジタル技術により撮影や編集が劇的に変わった。

ざっくり3点あげると。
・フィルムの購入費や輸送費がかからなくなった。
・フィルム交換不要のため撮影時間に制限がなくなった。
・カット割りやカラーリングなど編集パターンが無限大に広がった。

“職人気質が多いフィルム派”の監督やエンジニアのご意見は。。。
「現場から緊張感が消えた」
「撮影素材が膨大になったことで、編集に迷いが生じる」
「デジタルなんて映画じゃねえ!」

“進取気性のデジタル派”のご意見は。。。
「お金がなくても映画がつくれる」
「技術的な選択肢だ、恐れることはない」

その後デジタルカメラの技術開発が進み、
「カメラのようなパソコン」や「カメラのような電話」がうまれた。
その結果、映像は誰でも手軽に撮影発信できるようになり、
アプリやサイトを開いたら溺死しそうなくらいの映像が溢れだす。

映画の終盤は、ある巨匠の言葉でくくられる。
「すべての人間が紙とペンを手にしたからと言って、いい物語が増えるわけではない。」
「技術的な手段が大切なのではなく、物語をつくる情熱が大切なのだ!」


私も日々の仕事を通じてこう実感する。
職人気質か進取気性かは問題ではない。
むしろ問題なのは、手軽さの生み出す弊害だ。
情報を膨大に拡散し、反応速度とウィットと忖度が求められ、
議論の深さを回避し、審美眼を鈍らせる。。。
格差と貧困を助長し、争いを誘発する。
やがて、川は枯れ、山は死に、海は荒れ狂い、大地が割れる。。。。
。。。なんの話しでしたっけ??
Keanuの戦略、深すぎます。 m(_ _)m
N.F