2016年2月アーカイブ

温泉太郎

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温泉太郎.jpg1992~94年にかけて私は温泉太郎と呼ばれていた。

その頃の職場での任務は、国内外の有力温泉地や施設の調査を

することだった。

 

地域の歴史、来客数、施設構成、湯量、効能、ロッカーの数、湯船の広さ深さ・・・

温泉地を徘徊し、寸法を測り、ヒアリングをし、深夜にまた湯に浸かり・・・

温泉太郎という名は能天気に聞こえるかもしれないが

実際は湯アタリとの闘いの日々だった。

 

現在取り組んでいる仕事に必要なソースを探すため、その頃のメモを見返してみた。

当時の温泉太郎の気合いと緻密さとバカさ加減に少し感動した。

しかし、今私が欲しいソースは見つからなかった。

 

それでも温泉太郎は何かを伝えてくれるはずと

十数ページのメモを読み返すうちにあることに気付いた。

 

太郎には一番重要な視点が見事に欠けていたのだ。

 -  人はなぜ湯に入りたいのか? -

 

やはり太郎はただモノではなかった。「欠落」を通じて20年後に大切な問いを残したのだ。

 

 -  人はなぜ湯に入りたいのか? - 

この問いに答えてくれたのはある哲学者が書いた新聞記事だった。

ザクッといえば、こんな風なことが 書かれていた。

 

  「心身ともに疲労した体にシャワーを当てると皮膚が刺激され、

   曖昧だった自分の身体の輪郭をしみじみと再確認できる。

   この時、人は安心と癒しとやる気を得る」

 

調査で疲労した温泉太郎は、温泉で癒されることもなく自宅のシャワーを

浴びながら自分を取り戻したに違いない。

 

丹後半島と積丹半島で取り組む仕事は、その対象があまりに大きいため

半島と人をつなぐいくつかの定規が必要となる。

何がその定規になるのか??

まだ、整理がつかないが、ひとまず温泉太郎に感謝。

N.F