2015年6月アーカイブ

FB.jpgのサムネール画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁(えにし):説明はつかないが、関係性をもっていること。

 

ええっ、これってそういう関係性にあるの!? 

俺って、そんな関係性の中で生きてるの!?

 

言語を持つ人間は、まさに関係性を食ってる様な生き物。 

こういった覚醒が肥やしになり、発想や行動に変化をもたらすと私は考えている。

要は、如何にして「縁の覚醒」にありつくかが重要だ。

その意味で私はFB(フェイスブック)に可能性を感じている。

 

しかし感じてはいるが、まったく活かせていないのが実情だ。

美食、旅行、子育て、ビジネス、うんちく、思想、批難、擁護、、、など

自己顕示欲の無い私はこの手のUP(=近況報告や情報発信)が出来ない。 

自意識を殺し、呼吸をするようにUPを連発すれば、縁覚醒の機会は

確率的に増えるが、どーうしてもできない。 嫌。無理。勘弁して。

 

しかし最近、数人の「友達」のUPを読んでわかったことがある。

どんな思いでその人と会うのか。

なぜ、そこにわざわざ赴くのか。

それが、意味深で興味を惹く内容であれば、思慮深いツッコミやコメントをしたくなるのだ。

その応答から思わぬ「縁の覚醒」に至ることがある。

 

ええっ、これってそういう関係性にあるの!? 

俺って、そんな関係性の中で生きてるの!?

 

私は企業のマーケッティングや広告の餌食になるためのUPには組しない。

縁の覚醒という目的のためにこそUPしたいのだ。

 

後藤新平 曰く。

   金を残す生き方は下、

   仕事を残す生き方は中、

   人を残す生き方は上。 

 

私に、そんな立派なUPが出来るんだろうか? 

それにこんなエラそうなことをいってたら「友達」なくしそうだ。

やっぱり流し読みに徹するしか道はないのか!

FBにUP UPである。 N.F