2015年3月アーカイブ

境界線

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境界線.JPG「死ぬ間際に、愛する人間を想うというのはドラマの話で、

実際は、巻き込まれた雪崩の底から見えるかすかな陽の光や、

胸にのしかかる雪の異常な重さ、

凍傷の痛み、そんなことしか考えない。」

かつて冬山の救助隊長だった、オーラばりばりの老人は

雪崩に巻き込まれた時の記憶を私にそう語った。

 

また、自ら指揮をとる救助隊が遭難したときの話。

隊長の判断を信じることが出来なかった隊員が逃げ出したこと。

その後、奇跡的に合流し、結果的に隊を救えたこと。

野営テントで、背負って来た羊の生肉をそのまま食べて、

ウォッカで口内を洗ったこと。

二日掛けて下山し、山荘の光を見た時に初めて泣いたこと。

 

p.b.Vが取り組んでいる建築のリノヴェーションは、「自然を実感する」がテーマである。(であった)

しかし同じ考えを持つクライアントを求めてどこまでも攻め込むうちに、

命の境界線を感じさせる場所や人に出会ってしまう。

 

自然のパワーは途方もなく、のみ込まれたら「運」だけが頼りである。

のみ込まれるかどうかの境界線は存在するはずだ。

「自然を実感する」という体裁のいい言葉は、その老人と話し込むにつれ

「命の境界を実感する」という輪郭を持ち始めた。

我々のKro(北欧で旅籠の意)プロジェクトの価値はそこにある。

 

ちなみに私は登山しない派です。N.F

 

 

刀 その2

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刀 その2.jpgこの日は母校ラグビー部の卒部式。

私にとっては建築学科の卒業設計講評会と同じく

何かを学ぶ大切な機会のひとつである。

 

 

ある学生が全部員の前で静かに自分の4年間を振り返った。

 

「大学からラグビーを始めた自分は、プレーに自信がもてなかった。

だからチームに迷惑をかけることが恐怖だった。

上級生として試合に出ることが間近になった頃が精神的にきつかった。

すると、そこに自分より上手い新人が入ってきた。

正直自分は安堵した。恐怖から解放された。

本来なら本気でポジションを争うべきだが、本心はそうだった。」

 

グランドでの彼は委縮ではなく、むしろ楽しそうにラグビーをしていた。。。

ように見えた。

 

仕事であれプライベートであれ、人には何か伝えるべき局面が訪れる。

そこで自分の刀が抜けるか、実感を言葉にできるか。

これは話の巧い下手の問題ではない。

日々、カッコウをつけずに自分に向き合って来た実感響く言葉に化けるのだ。

 

役職や地位のサヤを脱ぎ捨て、抜き身としてその場に立てるか。

刀を抜くというのはそうゆうことかも知れない。

 

本気で向き合う集団から学ぶことは多い。

 

名刀かどうかなんて関係ない。N.F