2014年6月アーカイブ

内なる孤独

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旅の空間.jpg
「じゃあ、また10年後に!」
夕暮れのホームで、そう言い残して、友人は特急に飛び乗り自分の住む町に帰って行った。
 
旅人は私の方なのに、異国の駅舎にポツンと取り残されてしまった。
閑散としたホームで、空腹と疲労からか、言い知れぬに孤独感におそわれた。
 
「ビールでも飲もう。」そう自分を鼓舞しながら、前方に目をやると
アーチ状に続く屋根が私を包み導いているという感覚が芽生えた。 
立ち止まっていた私は再び淡々と歩みを進めることが出来た。
- つづく
 
 
あまりに凡庸すぎる私小説風になってしまったが、事実だ。

現在取り組んでいる老人の家。
全体をどのようなイメージでとらえるべきか、
悩み続けてきた。
 
若輩で仕事に追われる私には、日々淡々とした暮らしをおくる老人の「内なる孤独」を
実感するのは難しい。
 
もちろん建築的施設的に立体化することは可能だが、それでは「内なる孤独」の
輪郭を捉えることはできない。
 
本屋でふと手にした雑誌「Casa BRUTUS  世界の名作鉄道」を眺めていたら
冒頭の孤独の記憶が覚醒され、胸に痛みが走った。
 
そして旅先での「内なる孤独」から私を導いてくれたのがアーチであったことも
鮮明に蘇った。
 
老齢ではなくても、日々の中で遭遇する「内なる孤独」は誰でもあるはず。
それに向き合うことが出来れば漸進のキッカケはつかめる。

老人も「内なる孤独」を抱える旅人と同じなのだ。
 
これでかなり頭が整理された。

視線やコースを限定し、「内なる孤独」を包み込み
進む方向を示唆する建築形式、それがアーチなのである。
  
小説家としての才能が一切ないことは内心では自覚しつつも、
「内なる孤独」をかかえる表現者であり続けたい。
 
写真左はミラノ中央駅ホーム。私の「内なる孤独」が記録されている。
写真右は老人の家の模型。食堂を包むアーチ。
N.F
 

かわイイっ!。。問題.jpg
いつか、どこかで、このような会話に遭遇したことがある。

「 どっちが、かわイイっ? >_< 」
「 こっちが、かわイイっ!     >_< 」
「 あっちも、かわイイっ!     >_< 」
「 ぜーんぶ、かわイイっ!     >_< 」
「 やっぱり、かわイイっ!     >_< 」
「 とにかく、かわイイっ!     >_< 」
 
ほんの10秒間に6回も連続コールされる「 かわイイっ! >_< 」。
しかし、そのストライクゾーンがかなり曖昧なことは承知である。 
それどころか、デッドボール気味の悪球にも湧き上がる「かわイイっ! >_< 」。

この曖昧さと選球眼の悪さに新しい基準を創り出したいとかねてから考えてきた。
また、「かわイイっ! >_< 」に向き合うことが、デザインの新しい価値を生むということも
予感してきた。
 
 
そのチャンスは突然にあるプロジェクトとして訪れた。
神戸女学院大学デザインプロモートの主題はなんと「可愛いさ」だった!
 
建築家ヴォーリズが80年前に設計した校舎群は、一見すると重厚なのだが
瓦や手すり、窓や天井のデザイン的な処理をよくよく視ると、ある感情が浮かんで来るのだった。
 
それを言葉としてシボリ出したら、「慈しみ」という表現に行きついた。 
 
「慈しみ」をネット辞書で引くと、、、
 
 -目下の者や弱いものに愛情を注ぐ。「可愛がる」の同義語。
 
 
つまりヴォーリズは「可愛い」を建築の中に仕込んでいたのだ。
しかもそのストライクゾーンは明確で、それが我々を導いてくれた。
  
 / 一つのデザイン単位が人間の大きさ以下であること。
 / グラフィックには幾何学ラインと自由曲線が混在していること。
 / 自然素材の色とポップな人工発色が融合していること。
 
 
まとめると
 
    「身近なサイズの中に多種多様の素材感と線形と色味がキチンと集積している。」
 
これが我々が導き出した新しい可愛いの設計基準である。
この基準に照らして数種類のデザインアイテムが完成し、去年より世に出回っている。
 
喜ばしいことに、現役女子大生からは「 かわイイっ! >_< 」コールを頂戴した。
 
 
決して擬人化されたキャラの力を借りなくても、ストライクゾーンの明確な
「 かわイイっ! >_< 」はデザインできるのである。
 
このプロジェクトで蓄積された経験は、我々が抱える他の建築プロジェクトに
順次展開される予定である。
N.F