2014年1月アーカイブ

純化するOLD.jpg 

家だろうが、茶わんだろうが何をどうつくっても、新しいものは古いものと隣り合うことになる。
 
どの様に並べればシックリいくのか?
これは不滅の問いである。
正解はないのが、好例はある。
 
イチオシは画家レンブラント(1606-1669)のミュージアムだ。
 
向かって右が巨匠が住んだ築400年の旧家、左が増築された新館。
 
先ず左の新館に入り、ショップから地下に潜る。①→②
そして旧家の地下室へと400年ワープ。②→③
 
その後は上階へと上がりながら巨匠の収集癖や
妙な生活習慣をこってりと追体験することになる。③→⑦
最上階に登りつめたときには新館から入ったことなどすっかり忘れている。

そして旧家4階の重厚な雰囲気から新館4階の透明感のある空間に400年再ワープ。⑦→⑧

現代的なギャラリーを下降し、巨匠の高度技法の絵だけをじっくりを見る。⑧→⑩
 
最後は最初のショップにもどり、グッズを買って(買わなくてもいいのだが。。。)
通りに出る。⑩→①
 
20mほど歩いてミュージアム全体を振り返り、新旧の外観を眺めながら、
体験の全貌を思い起こすことになる。
 
旧家には絵は一切なく、クレイジーな暮らしぶりだけに焦点が当てられている。
一方、新館のモダンな空間には絵しかなく、旧家の痕跡は全くない。

新旧の役割が明快で、新→旧→新の2度の400年ワープも
絵の素晴らしさと巨匠のクレイジーな暮らしを対比的に見せる意味で効果的だ。

 
絶好調のレンブラントは大金でこの豪邸を購入したが、落ち目になって借金とともに
この家を追われたそうだ。
 
本当にワープしたかったのは巨匠ご本人だったのである。
N.F

描かない

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エラいものに遭遇することがある。
 
画家さんは「描く」ことが仕事だと思ってきた。
この当たり前の理解が覆ったのか、あるいは深化したのかよく整理できてはいないが
とにかくエラいものに遭遇した。
 
その絵は「描かない」ところに冴えと凄みがあった。
 
国内屈指の霊場、山形県湯殿山の麓にある注連寺御堂の天井には巨大な手が
克明に「描かれていた」。
 
手はもちろん必殺脳天チョップや地獄突き、、、などではなく「合掌」として描かれている。
 
テレビで見かけて以来、一度体験したいと思っていた。

 
左右2枚の手がシンクロした迫力を確かめたくて堂内に入ったのだけれど、
実際に仰いで感じたのは迫力よりもっと静かで地味で物凄く大きな存在だった。
 
?のまま、じっくり眺めていると「描かれていない」部分があることに気付いた。
この手の主が描かれていない。
 
合わされた2枚の手のさらに上方にある主の大きさを実感したとき
エラいものに当たってしまったと困惑した。
 
 
この画家は「描かない」という選択をして「描いた」。
そして描いた部分を異常に克明に表現することで 
描かなかった部分がより存在感を増すという不可思議な状況を生みだしたのだ。
 
シンクロしていたのは二枚の手というより、「描いた」部分と「描かない」部分との関係性だったのである。
 
- 金山杉という樹種に墨で描かれたこと。
- 板に現れるボーダー状の濃淡も表現の一部であること。
- 構図のアイデアは考えたのではなく「降りてきた」のだということ。
- 一気に手早く描かれたこと。
 
その様なことをお寺の方から伺った。 
 
天空之扉  木下晋
The DOOR of the HEAVEN drawn by Susumu Kinoshita
 
「描いた」のはDOOR
「描かなかった」のは HEAVEN 
 
まったくエラいのに遭遇してしまった。N.F

 

but true

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婆 「この家は桶職人や船大工がつくりました。ウソだとお思いでしょうが。。。」
私 「ウソだとは思いませんが、、、」
 
20年前に訪れた佐渡島での会話だ。
住民であり集落の案内役である婆は私に向かって続けた。
 
婆 「この家のつくりは直角を頼りにはしておりません。桶職人が作ったからでございます。
   ウソだとお思いでしょうが。。。」
私 「だからウソだなんて言ってませんが、、、」
 
婆 「外壁は船体用の木材を再利用しております。だからこんなに厚いのでございます。
   ウソだとお思いでしょうが。。。」
私 「これは見ればわかります。」
 
婆 「屋根は杉の皮に石ころを乗っけただけでございます。。。ウソだと、、、」
私 「これも、見たままなんで、、、」
 
婆 「窓が小さいのは、租税額がその大きさで決まったからでございます。
   ウソだとお思いでしょうが。。。」
私 「ウソだとは思いませんが、そうだったんですかあ、、、」
 
ここは佐渡島の宿根木(しゅくねぎ)という集落。2013年12月31日に20年ぶりに訪れた。
複雑な地形の谷に住居が集積回路のように収納されている。
 
案内看板には以下の様に書かれている。
 
  -宿根木は鎌倉時代にはすでに浦都市の機能を備えていた。 
    江戸時代中頃より千石船による交易が盛んになり、
    狭い谷の中に、船主、船頭、船乗り、船大工、鍛冶屋、 
    桶屋、染物屋、酒造、漁師、農民など多種多様な人々が居住し街をつくりあげた。
 
これほど多彩なスゴ腕がいたから建築会社も棟梁も必要なかった。
つまり産業や交易の力でできた空間なのだ。
 
地形のウネリなんて日本海の荒波に比べればチョロイもんだし、
直角の少ないデザインも船や桶では当たり前だ。
 
「ものづくりの島」佐渡への憧れはこのようにして20年前にこの婆により
私の脳に刷り込まれた。
 
If you think it's not true,but this is the true... . 
 
訳したいほど、刷り込まれた。NF