2013年10月アーカイブ

天  災

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冴えの無いアイデアに落胆した時、
サボり癖にほとほと嫌気がさした時、
ひとは自分の凡才さを恨みたくなってくる。

 
そんな時は「天才」に乞え。
凡才であることが幸せに思えるに違いない。
 
凡才の私が天才の条件について語ってみても、世の中には全く何の影響も出ないが、
あえて列挙するなら。。。

 -独自性にこだわり抜く。
 -異常にコマかいことを気にする。
 -何かを実感するためには命を懸ける。
 

周囲の人間にとっては、酒を呑みたくないヤツの典型だ。
しかし、天才本人にとっても辛い人生に違いない。
 
もって生まれてしまった気性や性癖、欲の大きさは自分では操縦不能だからだ。
あきらめて遺伝子のプログラムに操られるしかない。
 

ある天才は、天井壁画を描きすぎて骨と皮だけになってしまった。
ある天才は、嵐の絵を描くのに、暴風雨の中自らを帆船のマストの先端にくくりつけた。
ある天才は、自らの壮大な構想を実現するのにスタッフに給料をはらわなかった。
 
人は天賦の才を羨むかもしれないが、私は欲しいとは思わない。
 
天才とはほとんど天災だといえる。
 
 
上野の美術館で出会った3人の天才(いや天災)にヒントを乞ううち、
己の凡才をありがたく思うとともに、究極の凡才を目指す気になってきた。
 
究極の凡才って何よ。。。??

 
左から
Michelangelo Buonarroti (1475-1564)
William Turner (1775-1851)
Le Corbusier   (1887-1865)
 
3人とも画家なんだか、彫刻家なんだか、建築家なんだか、よくわからないが
確かに天才だ。
凡才の私がいうのだから間違いない。
 
開催中の3企画は、それぞれ関係はないが、
「こいつらスゲぇーなー、でもバカだなー。おれ凡才でよかった。」
と感嘆とあきれ顔と安堵感で観ると面白い。
N.F
 

poor にして rich

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poorにして高級.JPG
熟慮すべきことが多すぎて、頭の中がゴチャゴチャだ。
こんなときは「大きな整理」が必要だ。
 
ささやかな結論に向かって、大きすぎる整理をしてみたい。
 
20世紀前半は製造の時代だった。(車、船、家電、建材、、、)
20世紀後半はサービスの時代だった。(保険、電信、IT、金融、、、)
21世紀は〇〇の時代であろう。
 
ある人が「〇〇」を「感動」と表現した。
つまりハードやソフトを売りまくり、満たされ過ぎた民衆は
なんとついには感動をむさぼり始めるのじゃ。・・・お前は誰?
 
 
感動をカタチとしてとらえるのは難しいが、手近なもので例えると、、、
 
私の眼前にある2冊の本、
ひとつは、世界的な著名建築家の日常をレポートしたもの。
もうひとつは、古今の文学者による隠れた名作選。
 
ジャンルの違う本だが、共通点がある。
 
内容はどちらも非常にrichだ。
ものづくりが直面する状況や文学のもつ力に対し、深くクサビを打ち込んでおり
一読して編集方針のレベルの高さが伝わる。
 
また同時に、どちらの本の紙質もpoorである。
 
特に名作選の方は、製本時に裁断されて出た端材を集めて再生した
「最下級紙」と呼ばれている紙で
マンガ雑誌に使われている、あの微妙な色のついたヤツだ。
 
雑誌のリサイクルのルートにのって
何度も何度も再生しているうちに、poorを超えてrichささえ漂う。
 
 
poorとrichの融合。ここに「感動」のひとつのヒントがある。 
 
社会全体から産み出されるものの中で、本当のpoorとrichを
見極めるためには相当の眼力と労力がいる。
 
世のほとんどが poor にも rich にも届かない
中間ゾーンで右往左往している状況において、
一冊の本にpoorとrichが同居していることに感動を覚える。
 
 
poorにもrichにも、見る者に「気づき」を突きつける力がある。
それが今大切なのだ。

本文を書くのに2日をかけたが、
ゴチャゴチャした頭が少し整理された。
 
はよ、仕事せーいっ!
ラジャー!!
 
N.F
  
 
PS  
名作選は私の親友である某人気番組のプロデューサーから
「この本、どうでしょう?」といって手渡された。
 
彼も「poor にして rich」こそが発想のキモだと考えている。