2013年2月アーカイブ

白赤黒、灰.JPG
ある伝記を読んだ。20世紀を代表するデザイナーについてかかれたものだ。
 
デザイナーとしては満点、経営者としては0点。そんな人だったらしい。
かなりマジメに書かれたものだが、シミジミと笑いのこみ上げる内容となっていた。
 
 
その巨匠は毎朝、自分のオフィスに元気いっぱいで登場する。
 
 -今日こそは世界をよりよくするアイデアが実現できそうだ!
 
「純白」に顔を輝かせながら一日ははじまる。
 
しかし、前夜の夢で見たアイデアがそんなに簡単に実を結ぶことなんてありえない。
リアルと理想の闘いがはじまるのである。
 
午後に入るころには電話バトルの末、顔はみるみる「赤」く膨張する。
どんなに赤くなっても自らのアイデアを実現するために、
決してあきらめることはなく、ねばる、たたかう、ごねる、わめく。
 
 
日が暮れるころには、闘い疲れた巨匠の顔はすっかり「ドス黒」くなっている。
 
しかし闘いもタイムアップとなる深夜には徐々に冷静さを取り戻し、
その顔は「灰]色へと回復基調だ。
 
数時間の睡眠で、よい夢を見た翌朝には元気いっぱい、
みごとに「純白」に回帰しているのである。
 
 
純白、ドス黒、純白、ドス黒、純白、ドス黒・・・
 
大きな日々の振幅を生き抜いた巨匠。
亡くなった時には数千万の借金があったそうだ。
 
こんなに働いているのに!! 
 


「純白」で目覚めなくてもいいから、せめて「ドス黒」だけは避けたい。
そして時々は「赤」くなってもいいけれど、出来る限りは「灰」色に納まっていたい。
 
そんなふうに思わせてくれる、憎めない巨匠の生き方に和んだ。 N.F
 
 
写真
HPリニューアルに向けた、当社業務の整理風景。
 
純白とも赤ともドス黒とも灰ともつかない、イメージの集積。

プレゼンの戦場

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プレゼン戦場.JPG
人間は3種類に分かれる。
 
男、女、それ以外。
 
これは疑いのないところであるが、別の3種類にも分けることも可能だ。
 
プレゼンする人、される人、それ以外。
 
世はプレゼンブームといわれているが、それはなぜか?
少々くどい話になるかもしれないが考えてみたい。
 
日本のものづくりは「新しさ」を忘れてきた。
細かさや丁寧さに拘った末に、気が付いたら隣国に抜かれていた。
 
細かさや丁寧さは、正しさや洗練を生む。しかし、いつかは行き止まりを迎える。
行き止まりを迎えた理由がわからない場合、さらに正しさと洗練に突き進もうとする。
 
それでもとうとう正しさと洗練の方法も尽き果て、漸進が叶わなくなった時、
正しくなくとも、少々カッコウ悪くても「新しさ」は重要だという当たり前の
事実に直面するのだ。
実はプレゼンブームの背景はそこにある。
 
とはいえ、「新しさ」を発想することは意外に難しい。
企業の企画会議で出るアイデアは、瞬発力はあっても
練り込むうちにすぐに鮮度を失うのが常である。

「本質的な新しさ」を生み出すためには、客観性が何よりも重要である。
客観視するためには、自らが正しいとして来た価値感や方法論を捨てる必要があるが
そんなに簡単ではない。
しかし「プレゼン」というステージに上がる覚悟があれば、捨てる勇気は意外にも湧いてくる。

プレゼンとは厳しい戦場。企画会議の楽しげな雰囲気はない。
そこでは、正しさや洗練よりも本質的な新しさこそが問われるからだ。
 
「おれ的には新しいと思ってるけど、本当はどうなんしょうか?みなさんがた?」
この意識が新しさを生み出す原動力であり、
プレゼンはそのための加速装置なのである。
 
 
プレゼンをする人も、聞く人も、真剣である限り予想を超える客観性を獲得する。
 
その緊張感が「新しさ」を生み出す種となるのだ。
 
恥かいてもいいじゃないですか。
かっこ悪くてもいいじゃないですか。
ステージにあがらないことには何にもはじまりません。
N.F

JOH

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JOH.jpg
俳優宍戸錠さんのご自宅が全焼した。私はニュース映像に釘付けになった。
この住宅は建築家鈴木恂(まこと)さんが設計した。
ジョーさんをもじって、JOHという作品名で雑誌などに掲載されていた。 
 
私は学生のころ、この建築家に非常に強い興味と憧れを抱いていた。
 
そのアツイ気持ちを抑えるのは難しく、建築家のアトリエに押し掛けるという暴挙に出た。
 
約2か月、東京原宿の住宅街にあるアトリエと、
当時進行中の福島県の建築現場でお世話になった。
 
アトリエではある住まいの設計を通して「思慮深く、丹念で粘り強い」仕事の仕方に接し、
自分には無理なのではと、自信喪失の日々が続いた。
 
一方、福島県三春町のダムに沈む小学校の移転新築現場では、
大勢の職方の前で、深々と頭を下げて
「私は鉛筆しか持てない、工事をして頂く皆さんこそが頼みの綱です」
と話された。 

心の底からものづくりへの尊敬と愛情を表現される建築家の姿勢に、
当時の迷える私は、明快な職業像、生き方像を見出した。
 
宍戸さんのご自宅JOHも、おそらくは「思慮深く、丹念で粘り強い」建築家の仕事の結晶だったのではと想像する。
 
そしてそれを確信したのは、全焼の現場から宍戸さんが「住み慣れた家がなくて寂しい」と話した時だった。
 
80歳という高齢の方が、身体の一部と化した様な住処を突然無くすことの痛みなど
私には到底想像できない。
 
N.F
 
写真は1988年に撮影した原宿の鈴木恂アトリエ。
正面がアトリエ。右手が同じ建築家の手によるパーソンズという洋服メーカー社長宅。
 
いずれも鉄筋をコンパクトに組むことによって、コンクリートでありながら木造の様な繊細さを備えている。

建築VS紙袋VSラグビー.jpg
建築 VS 紙袋 VS ラグビー
 
もはや誰が何と闘っているのか判然としないが、これが我々の現実だ。
途を切り拓いて漸進するためには避けられない戦いなのだ。
 
伝統的な紙袋を小さな建築として世界に羽ばたかせるために、
我々はラグビーウェアを研究した。
 
あらゆる方向の動きを薄い素材で包み込むという意味では紙袋とラグビーウェアは
似ている。。。
本当に似ているかどうかという疑念をふりはらい、ここは「言い切る」。
 
 
上が1980年ころまでのウェア。腕や肩、胴といった体の部位をパネル化し
それぞれを縫い合わせて全体の形状が決まっている。
そのせいかデザインパターンは少し単調だった。
(オールドファンにはそれがいいのだが。)
 
 
下が2012年の最新ウェア。体の部位ではなく「力の流れと動き」をパネル化し
それぞれを縫い合わせている。
これによってデザインパターンは飛躍的に増え、チーム差異化のための新たな展開を見せる。
世界中でチームが増えるためには、機能面以外にもデザインパターンの増殖は必要だったのだ。
 
紙袋もラグビーウェアのように、思い切った変貌を遂げられるか!
N.F
 

 
写真は先日の六本木MDTでのプレゼンで、多くの観衆の皆さんにご披露したもの。
 
東京都の産業再生と紙袋についてのプレゼンなのに、ラグビーウェアについて語りまくる私に
「頭の中、大丈夫ですか?」的視線が集中したのは勿論のことながら 
それでも「おおっ!これはウケてる?」と私が曲解したことはここで書くまでも無い。

小さな建築 VS 図書館.jpg
小さな建築には次々と難敵があらわれる。
 
強敵紙袋と闘う一方で、もう一つの敵と格闘してきた。
 
 
文字嫌いでありながらも書物狂の私としては絶対に落としてはならない一戦。

相手は既存図書館の大きなロビーだ。
 
ヘビーユーザーの図書館ライフをよりよくするために、
文字嫌いのガキンチョにもフレンドリーな印象を与えるために、
我々はひたすら小さな建築を鍛え上げた。

いや、むしろ本当は製材、木工、印刷、縫製、IT、映像といった
様々な産業技術が刀鍛冶のように小さな建築を叩き上げたというべきだ。

リニューアルオープン当日、多くの人が詰めかけ、ロビーは瞬く間に「都市化」された。
 
しかし、小さな建築は密集や移動の力に屈することなく
心地よさげな人の居場所を涼しい顔で守り抜いた。
 
それはデザインとしてカッコウつけたからではなく、
確かで厳しい技術が刻印されていたからである。
 
このあたりの理由は、私自身がまだ完全に消化しきれてはいない。
 
しかし、公共空間の再生にせよ、シャッター街の再生にせよ、産業の力を
フル稼働させることが状況の打開につながることだけは実感している。
 
モノサシを長めにもとう。
恐る恐る自らの領域の外へ踏出そう。
コワモテの経営者や技術者の声に耳を傾けよう。

ご立派なことをほざいているうちに、次なる難敵があらわれた。
こんどは勝てるだろうか。。。
不安だ。辛抱だ。我慢だ。勇気だ。
 
写真 札幌市中央図書館「本の森」
多くの協力企業の皆様の高い技術力と品質管理力に感謝いたします。
N.F