2012年11月アーカイブ

artに乞え。

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the art.jpg
年末に選挙を控え、お前はバカか?といわれるかも知れないが、
人類にとってartは大切だ。
いや、こんな時こそ重要だ。
 
私なりのartの条件は以下である。

 一、何の役にも立たない
 一、存在の意味を限定できない
 一、でも何だか凄い
 
この三つがそろえば、それはその人にとってのartだといえる。
 
そして、この条件ゆえにartは「答え」を性急に渇望する者を容赦なく突き放す。
追い詰められた人間にとって、それは厳しいことである一方、
良い答えをつかみ取るのは難しいんだよ、との励ましにもとれる。
 
スポーツや政治、ものづくりの世界でシノギを削る人たちが自分にとってのartを
大切にする理由がここにある。
 
困難に当たると、ついつい逃げ道を探したくなる今日このごろのボクちんでは
あるが、それでもartとの対話が何かを生みだすことには気づいている。
 
写真は、図書館ホールのリノヴェーションのためにつくったソファ。
私にとってのartである石庭に半年間突き放され続けながら、徐々にカタチになった。
左下が最初に描いたいい加減な絵。右下が引き締まった感じの最終モデル。
 
どこから眺めても違うカタチで、ホール全体の印象を限定させない。
また、複数を様々に組み合わせることもできる。
 
世界のものづくりの水準を熟知するarflex社とcondehouse社の技術によって製作される。

 
年末の選挙、どこを選択するかはartに乞うことにする。

 自民は民主よりはマシなのか?
 第3極の極は多すぎないか?
 こうなった場合の無所属の意味は?   
 N.F
展開料理.jpg
仕事の「肥やし」にするため、色んな本を読み漁る。
それらは一見して建築とは無関係な本ばかりである。
ハズレも多いが、たまにアタル。
 
そんな中、「展開料理」というホームランに出くわした。
この本は著名な料理家によるものだ。料理家はまず、大きな問いをたてた。
 
  Q . 人はなぜ食べるのか?

「おなかがすくから」がもちろん答えではないが、無関係ではない。
 
乱暴にまとめると以下だ。
 
  A . それは呼吸と同じ生命の仕組みだから。
 
シンプルすぎて難しいが、
すべての地上の生命体は食を通じて分子レベルで連環している、だから「食べる」というのだ。
そして、この「連環」という考えは「展開」というアイデアに高められた。
(詳細な解説が必要な方は本を読んでください。)
 
「展開料理」とは、例えるならダシ汁や茹で野菜のようなものをストックし、日々の食事に様々に応用するという料理法のことである。
 
ここで料理家が設計するのは出来上がった料理自体ではなく、応用の効く「中間素材」なのである。
 
料理家というのは建築家と呼ばれる人種と同じように「完成形」を作品として追求するものと考えていたが、
これは全く違い、己の不勉強を恥じた。
 
応用展開が可能な「未完成」こそを設計対象としている。
 

 
全てが「連環」していると考えた場合、一瞬を切り取っただけの完成形を作品化したり商品化したりすることは
滑稽な作業で、そこに未来に対するワクワク感はない。
 
そう、いかにワクワクするか。そして目の前の仕事に対してcrazyになれるか。

すこしずつではあるが、何かに近づいている
 
・・・・・・・・
 
のかっ!?
 
右の写真は、友人農家の食卓に並ぶ「展開後の料理」。N.F

リレー用のバトン

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創業の魂.jpg
この写真、何に見えますか?
即答出来た方は、旅好きでしかもモノ好きです。


これは創業100年の老舗ホテルのリネン室。
立派な木造建築の回廊を歩いていると、扉が開いていたので覗き込んで見た。
 
奥の小窓から差す光に照らされた空間からは「懐かしさと丁寧さ」が滲み出していた。
 
ホテルに泊まってリネン室に夢中になる私は、モノ好き以外の何者でもない。
しかも、リネン室は、「決して観てはイケないアチラの世界」の様で踏み込めない。
それがまたタマラナイ。
一瞬躊躇したが、ただならぬ「懐かしさと丁寧さ」に引き込まれソロリと覗き込んで見た。
 

小さなこの空間が創業以来変わらぬ佇まいであることは、使い込まれた木の床や調度品をみればわかる。
ホテル運営の効率を考えたら、リネン室はもっと今日的・機能的に改装されてもよい。
あえてそれをしない理由が気にかかった。
 
 
この頃よく「事業化」という言葉を聞く。
事業者にとっては「金回り」が大切だという観点から、我々はこの言葉は何とか「呑み込む」ことにしている。
 
しかし、もし50年100年といった継続を考えた場合、「金回り」の計算だけでは不足であろう。 
 
 
最近、「創業」という言葉の力を実感している。
事業化ではなく「創業」と考えることからくる重み、深み、とでもいおうか。
それは投資額の大小の問題ではない。
いわば、己以外の何かを背負っているかいないかの問題だ。
 
「創業」という重量感のある仕事を引き受けた時、我々は何をカタチにするべきか?
 

この問いに悩んでいる今日この頃、前述のリネン室を想い出した。
創業以来100年、多くの人がこのリネン室を丁寧に使い続けることで
客室のクオリティもまた保たれてきたに違いない。
 
いわばリレー用バトンみたいなものだといえる。
前任から手渡されたら最後、丁寧に後任に渡す以外に選択肢はない。
 
各ランナーの走法が話題になっても、バトンのカタチが話題になることはない。
しかし、レースの最終的な価値はバトンが地に落ちることなく運ばれるか否かで表現される。

 
相変わらず悩める我々は、手元にある数枚のリネン室の写真を、じーっと見つめるしかない。
 
目の前の重量感のある仕事にとって、何をバトンとするべきか?
N.F