2012年5月アーカイブ

プロデュース学 

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プロデュース学 1.jpg
この世で集めるのが難しいとされるベスト3は
 
①人
②お金
③仕事
 
とりわけ、我々は「仕事を集める」ことに非常に興味をもっている。
 
大仕事をひとつ達成することは実りの多いことだ。しかし、大仕事の連続なんて心身が耐えられないし、それは偉人と巨匠の特権だ。
 
我々の様なものづくりに従事する人種は、同時多発連鎖的に仕事を展開してこそ、組織や社会を活性化できるのだ。
 
 
私はどんなに小さな仕事にとり組む時でもツブやくことにしている。
 
  「同時、多発、連鎖、同時、多発、連鎖、、、、」
 
決して「辛抱、我慢、辛抱、我慢、、、」ではない。
 
では、いくつかの導火線を大きく強力な火種に束ねる、そういう行動力をどう習得すればいいのか?
 
今のところ、私には「答え」はない。
しかし未整理の状況ながら、そろそろ考えるべきに来ているのかも知れない。
 
題して、プロデュース学。
 
 
これはここだけの話だが、お金儲けしたいなら、何やら「招き猫」という飛び道具があるらしい。本当にここだけの話だが、、、
 
 -お前そんなんで大丈夫かっ!? アホ!ボケ!
 
そんなに言われるイワレはないが、大丈夫なことを証明させていただきたい。N.F
 

ファミリー

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チーム力.jpg
40人の集団から強いフットボールチームを作り上げるには?
 
私はチームコーチではないが、興味の尽きない問いである。 
もちろん戦術や戦法の話ではない。「指揮官たる者の基本姿勢」への問いかけである。

 
一般にはザックリと、二つに分けられる(らしい)。
 
 日本式・・・一軍の下にファームをつくり、全体のレベルアップを図る。
 
 韓国式・・・最初から精鋭とその他の集団に分別し、精鋭を集中的に鍛え上げる。
 
 
韓国式には即効性があり、一発勝負において有利であるとも聞いた。
日本式はその逆、長期戦では力を発揮しだすということだろう。
 
 
「多人数でつくり上げる」という我々の仕事の性質上、
あらゆる局面で「基本姿勢」を試されるハメになる。 
 
現時点での私の考えはこうだ。 
 
まず、プロジェクト全体をひとつのファミリーだと考える。(なに?ファミリーっ!?) 
次に、ファミリーである理由を全員で共有してもらう。(境遇的、ビジネス的、投機的理由)
「ファミリー、ファミリー、ファミリー、、、」 これを刷り込む。(うざいっ!)
 
「あぁ、もうわかりました。我々はファミリーです。」となったとき、お互いの潜在力や技術力の
交換はスムーズになる。
 
戦法や戦略、つまり我々の業界でいえばデザインコンセプトや工法への移行は容易だ。
  
 
日本式か韓国式か、それは「工程や目指すべき舞台」が決めてくれる。
 
ボトムアップかエリート育成か、そんな安易な選択をしてはいけない。

 
「なぜ我々はここに集うのか?」この問いを軽視すると先々痛い目にあうのだ。
 
 
 
「ファミリー、ファミリーって、お前はマフィアか。」 
 
 

 
 

「ダサさ」を鍛える.jpg
「あんたのつくるものダサいね」といわれて喜ぶ設計者はいない。しかし与えられたミッションが「ダサさ」だったらどうするか?
 
 
いつかはこんな仕事がくるとは思っていた。心の準備をしておかなければとも考えていた。そうこうしながら、X-DAYは以外にも早く訪れた。
 
 
「当店の特徴はダサさです。」
老舗居酒屋の経営者の方はサラッと言い放った。
 
私は黙ってコウベを垂れた。業界屈指の優良店といわれるこの居酒屋のことはかなり前から知っていた。
 
 
 
10年以上も前、私はこの店で飲んだくれたことがある。
 
泥酔した私に向かって猫と狸と七福が口々にいった。  

 -そこのカッコウつけたお客さん、
      わしらの店がつくれるだか?-

 -完全に無理でございます。-
 
 -うっしししし。いっしししし-
 
 
 
 
人生とは不思議だ。そんな記憶も消えた今、再び猫や狸や七福と睨み合っている。
 
 
 
「ダサさ」を正確に強く押し出していくには力量がいる。
 
「ダサい」は「田舎臭い (だしゃくさい)」という隠語めいた言い回しが語源だと聞いたことがある。
 
 
だとすれば、ITによって距離格差が克服されゆく現代社会において、「田舎」について哲学する、という大変な話になってしまう。 
 
 
 -おみゃーさん、そんな小難しいことを考えていたら
    フリーズするべサ!-
 
 -ごもっともでございます。- 
 
 
 
いずれにしも、カッコウをつけたがる己を排除しないと背負い切れない仕事であることは明らかだ。
 
 -ダサさの極意をお教えくださいまし。-
 
 -ワテらの顔をよーく見てごらん、わかりよらんかのー?-
 
 
一つ、何かが「過剰」であること
一つ、見慣れすぎていていること
一つ、羞恥心を完全に克服していること
 
 
 
言葉にすると難しいが、 
 
「ダサさ」を鍛えることは、「洗練」を極めることと同じなのかも知れない。
 
 
 -こりゃっ!、おみゃーさん、またカッコウつけとるだにっ!-
 
 -ごもっともで。。。っていうか、あんたさんら何処のクニの生まれですか?-
N.F

ホッカイドウ × イタリア.jpg
またひとつお店ができる。
小難しい話は抜きに、我々にとって店づくりは楽しみそのものである。
志が高く、新しい領域に突き進む経営者の方々との仕事はなおのことである。
 
札幌の人気イタリアンsagraが2号店の開店準備中である。店名はLa Pucciaという。
 
オーナーシェフの経営方針は明快である。

 
 - 料理は農家との「一蓮托生」から生まれる。
 
 
生産者と運命や行動をともにすることから料理は生まれるという意味だ。
 
我々がメーカーや工場、そして専門技術者への取材の中から、
設計アイデアを絞り出すのと全く同じ志向だ。
 
 
備蓄納屋の構造を活かしたインテリアの壁面にはホッカイドウの農家から集めた土が
塗り込められている。
 
その壁面にはシラカバで切り出されたホッカイドウが浮かんでいる。
立体裁断により河川や湖や小島まで微細に切り出されており
メニュー板として使われる。
 
また、椅子のクッションは作業着のお古からパッチワークされたもので
ポケットや襟元がうまく利用されている。(スタッフの方がつくった)
 
農土、作業着、ホッカイドウ、アラウコプレス合板、琺瑯エイジング、学校椅子など
様々なアイデアやパーツが納屋のような空間に結実した。
 
5月14日開業。場所はホッカイドウ・サッポロ北3西2。N.F

 

もう一つの戦場

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もう一つの戦場.jpg
ものづくりの現場が「どうつくるかの戦場」だとすれば、ここはまさしく「どう見せるかの戦場」だ。
 
世界的デザインイベント、ミラノサローネをネット検索すると華々しい写真や「私、見てきました!」的ブログが無数に見つかるだろう。
 
 
しかし現地での私はそんなハイな気分にはなれなかった。なぜなら、この会場を次なる戦場だと考えているからだ。
 
昨年来、p.b.Vは参加を目論んでいたが準備段階で時間切れとなり見送った。じゃあ、一度見てみようということで現地に脚を運んだ。
 
それ順番、逆だろっ!・・・ごもっともでございます。
 
イベント期間中のミラノ全体の盛り上がりや規模の大きさを見て、敵を知らないという事は本当に恐ろしいことだと思った。(その無防備さが、歩みを進めることも事実だが)
 
 
それはさておき、私のミッションは以下の確認だった。
 
  - なぜそんなに多くのメーカーが参加するのか?
 
 イベント参加費用は数百万から数千万。弱小工場からブランド企業までリスクを負って参加するのはなぜか?
 
その答えは瞬時に見つかった。
 
 
 - 「どう見せるか」 は 「どうつくるか」 と 一対だから。
 
 
自社で苦労して作ったものを、インターネットではなく現実の場で体を張って見てもらう。しかも強敵と軒をつらねて。
 
会場担当者の心身に刻み込まれる体験と感触が、自社の次なる企画やものづくりのにとっての最良の肥やしとなることは了解できる。
 
 
会場には家具とも呼べない規格外のものもあった。それはガラスや金属や木工の特殊技術をもつ企業が自社の技術力をアピールするための陳列物だ。
 
 
家具として売れるはずがないこれらの陳列物を見て、産業とデザインとお金の共犯化に没頭するイタリアのcrazyさに笑いがこみあげた。
 
 
苦労して練り上げたネタをステージで嬉々としてジャベリまくるお笑い芸人を想像してもらえば、わかっていただけるのではないだろうか?

余計わからん?
 
問いはつきない。N.F