2012年3月アーカイブ

キッチン研究

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「ニッポンのキッチンせますぎるです。」
「あんたの国ではどうなの?」
「イターリアではサイテーでも30ツボありまーす。」
「そりゃデカい!4LDKのマンションだ。」
 
遠い昔、友人である料理人は絶望的に狭い日本の雑居ビルにある
キッチンの中から、ほろ酔い加減の私にいきなり苦言をはいた。
 
「なーんで、ニッポンのキッチンはこんなにせまいのですか?」
「おれは知らん。おれにいうな。」
「あんたたちケンチク屋がだらしなーいんだから。なのでは?」
「はあ? なんて?」

 
巻き舌で彼が説明するところの、本当のキッチンとは・・・
 
菜園の野菜をストックし、牛や鳥を絞めてバラし、
それらの素材を徐々に食材へと加工し、
下処理をし、仕込み、仕上げをし、盛り付け、、、
で配膳だ。
 
これらの全工程を空間にすると4LDKになるのだと。
 
 
最近、密度の高いキッチンをいくつか設計している。
クライアントでありキッチンの主である料理人の方々と
話しているうち、15年前の冒頭の会話を思い出した。
 
最新鋭の厨房兵器が精密にならんだ図面をみていると、あの強烈な巻き舌が
私に語りかける。
 
「リョウリとはショクモツがクチに入るまでの、ショクザイのながーい旅なのです。」
 
あー、もーわかった。ちょっと変な日本語だがわかりました。
 
何がわかったのか。
キッチンを考えぬくということは、食材の長ーい旅の一部分を切り取る作業なのだと。
 
旅をするのは食材だけではない。
 
人、食器、調味料、水、空気、ガス、電気・・・
 
これらが狭く密閉された空間の中を、同時に、短時間に、大量に、旅をするのだ。
 
キッチンが常に、予想より難しいのはここに原因がある。
 
「あんたたちケンチク屋が、ガンバリーな!ですから。」
「えー?なんて?」
N.F
 

 

はらっぱ研究

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子供が「crazy=夢中」になれる遊び場とは?
 
 
この難問に対し、遊び場の賢人たちから学ぶことにした。
 
 
 
個人的にはこれまで開いたことさえなかった漫画本を重要参考文献とし、賢人たちの「はらっぱ」での活動パターンと空間分析、そして家と「はらっぱ」の関係性など、詳細なる整理分析を試みた。
 
 
そして我々はその成果を「はらっぱ研究」というレポートにまとめあげた。この研究成果を公の会議の場で披露させて頂いたときは、我ながら己のマジメさとアホさが誇らしかった。
 
 
 
さて、その内容を要約すると。。。
 
 
 ①はらっぱにはdevice=装置が必要であること。
    ドカン、小山、クレーター、樹、塀・・

 ②子供の行動パターンはdeviceに影響を受けること。 
    アジト、ホーム、発表、共同作業、
    夢想、ハザード、会議、カンバス・・
 
 
 
 
つまり単なる「空き地」が「はらっぱ」に化けるためにはdeviceが必要だということが本研究により解明されたのだ!!! 
 
 
これらの研究成果をもとに、我々は抜け道の多いドカンと、ツルツルすべるクレーターを設計した。 
形が複雑なため通常の建設技術の応用をあきらめ、他分野の生産技術にその活路を求めた。
 
 
 
ドカンには千葉化工のFRP技術が、クレーターには遠藤木型の3次元裁断技術がフル活用された。
 
 
 
というより本当は順序が逆で、高度な技術に刺激を受けてアイデアがポロっとねん出されたのだ。 
 
 
 
この日は写真撮影のため試験的に子供をはらっぱに解き放ってみた。 
コワれた様に走り回る姿をみて、ジャイアン氏、のび太氏、スネ夫氏、しずちゃんの各氏に感謝するとともに、高度な技術によって生み出されるdeviceの重要性を再確認した。N.F

this is 営業

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「あなたのような押し引きの巧い人は営業に向いてますねネ」
「酒が飲めないのに、営業職はキツいね?」
「君は人間関係に長けるから営業だ」
 
営業職とは何かと既成のイメージがつきまとうようだ。
 
「お仕事を拾いまわる」ことが営業職の本質だとすれば、押し引きも酒も人間関係も
必要かもしれない。しかし本当にそうだろうか。。。 
 
 
 
 大手ハウスメーカーの運営する介護付き住宅の見学をさせて頂いた。
シルバー産業の歴史と未来と事業性について説明をしてくださったのは
当施設のケアマネージャである。
 
 N.F

背負い

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人は二つにわかれる。「背負う人」とそれ以外。
背負ってしまった人は二つに分かれる。「背負い切る人」とそれ以外。
 
これは人格や生き方の良否について述べたものではない。
困難な状況に直面した時の「そいつの性(さが)」ともいうべきものだ。
 
 
背負い切れないものを背負うのは「無謀者」といわれ笑われる。
 
一方、常に背負わない立場を貫くと「傍観者」として尊敬は得られない。
 
 
 
この話題について、元強豪ラグビーチームの主将経験者は私に言った。
「私は背負えるものだけを背負う」
 
このシンプルで重い言葉の背景として、
背負い切れないものを背負ってきたという彼の強い自負があることを私は知っている。 
 
 
ラグビープレーヤーとしては殆ど何も背負って来なかった私だが
実社会ではいくつかのプロジェクトを背負っている。
 
なぜ背負うことを決意したのか。
それは、過去において背負い切れなかった痛い経験から逆算し決意したからだ。
 
成功も失敗も背負ってみなければ実感できない。 
 
自らに負荷をかけよう!もっと大きな舞台を目指そう!
 
 
 
写真はラグビーW杯2011 JAPAN-CANADA
CANADAは全員が肩を組み、「選手個々の背負い」と「チーム全体の背負い」の
融合を図ろうとしている。 
高い目標を掲げて「背負い続ける」個人や組織には、ココロに響く光景である。
N.F