2012年2月アーカイブ

device

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モノづくりにしがみついて20年、ようやく何かが見えてきた!!
 
・・・まあ、年中こんなことを叫んでいるのだが。。。
 
しかし、今度はどうも「来タ」らしい。
 
転機はデスクワークから距離をとって、生産技術の現場に飛び込んだことだ。
約3年たつが、多くの新鮮なアイデアやモノづくりに対するcrazyさを
手中に納めてきた。
 
つまりinputに熱中した時間がすぎ、ようやくoutputに反転しはじめたのだ。
 
自分たちの走っている姿なんて、自分からは見えないから「inputからoutputへの反転」なんてカッコウつけてもしょうがないが、「outputの方法」が変化したのはかろうじて実感できる。
 
それを言葉であらわすのは難しいが、
 
 -我々はdevice【装置】に熱中しはじめている-
 
とさらにカッコウをつけてみたい。
 
建築か、インテリアか、庭か、公共空間か、家具か、アイコンか、映像か、
ほとんど境界認識が不能になっているのは
様々な生産技術の現場で、日夜を問わずdeviceの作製に取り組む
経営者や職人との交流を通じて育まれた感覚だといえる。
 
もはや、目の前の対象に謙虚さと冴えをもって、取り組むだけだ。
 
 
写真は子供の遊具であるが、机でイイ気になって線を走らせていた
頃にはできないシロモノだ。
 
このサイズや複雑さは土木工事や家電、PCや航空機まで汎用性のあるFRPの生産技術への尊敬から生まれたことは間違いない。
 
けっして子供目線に合わせた発想ではないことは告白しなければならない。
 
しかし、なんとか子供の潜在能力を刺激するものになってほしい。
 
いや、なるはずだ。
うん?なれるのか?
 
N.F

スタンリーに学べ.jpg
スタンリーは前世紀において巨匠中の巨匠と呼ばれる映画監督である。ものづくりにかける猛烈さと周到さから学ぶことは多い。 
 
 
 
 
 -すべてのシーンは過去に撮り尽くされている。
  重要なのは「より良く撮る」ことだ。-
 
キスでも戦闘でも号泣でも、あらゆるシーンは過去の映画にある。ありきたりのシーンを「再発明」するためには謙虚さと冴えが必要なのだ。
 
 
 
 
 
 -全編を6つのブロックに分断し、
  各々の完成度を高める。
  それらを並べることで映画は出来上がる。-
 
ここに天才の秘密がある。通常の映画では全体の「連続性」こそが生命線だ。「分断」させて撮ることはストーリーテーリングの上では御法度である。しかし「分断」を並べることでストーリー上の「飛躍」が生まれ、観る者の想像力が喚起されるのは事実だ。不可解さを前提に映画を作ることは興業上のリスクをともなうが、「ネタバレ」なる映画評は一掃される。 
 
 
 
 
 
 -現場のスタッフは常に最少限である。妥協のない
  撮影が長期に及んでもコスト高にはならない。-
 
これは映画製作会社ワーナーの社長のスタンリーに対する感想だ。才能も重要だが、時間とお金の操縦能力こそが作り続けられる秘訣である。自分で出来なければ他人に任せなければならない。製作会社と現場との信頼感はそれが大前提となる。 
 
 
 
 
 
 -形を完成させることで、
  本当にやりたいことが見えてくる。-
 
スタンリーは撮影準備を異常な周到さで行うことで知られる。現場では妥協のない映像作りのために猛烈に働く。それは一秒でも早く完成形を予感するためだろう。完成形に近づかない限り、企画意図との距離感は決して測れないことを熟知しているからだ。 
 
 
カメラ小僧だったスタンリーは、「写真を動かしたい」という明快すぎる野望で映画監督になった。だから映画界の常識やオキテに眼を曇らせることなく、動画づくりに集中できたのだ。 
 
 
 
以上は2001年に製作されたドキュメント「20世紀の巨匠スタンリー・キューブリック」を観た感想である。
 
我々は天才でもなければ芸術家でもない。だからワラをもすがる思いで先人の製作姿勢に学ぶのだ。領域の専門性なんて関係ない。N.F
 

雪 ラ 

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雪ラー.JPG
北海道、今季の雪の多さはシャレにならない。
 
「生活バリアであるはずの雪が、交流ステージに化けるという痛快さが
雪中ラグビーの魅力だ」
 
と去年書いたが、シャレにならない。
 
家からは出られないし、車は人より遅いし、建物は壊れるし。
 
でも性懲りもなくやるのです。雪ラ。
 
ラグビーなんだか、エゾシカの戯れなんだか、意味不明の集団が雪の中で
蠢くのです。
 
ゆっくりと力強く、酸素欠乏でゼイゼイいいながら、うごめくのです。
 
元有名選手も、外人も、学生も、ただのおっさんも、女も、子供も、
ノースリーブ野郎も、みんな蠢くのです。
 
アフターでは、ひたすらビールを飲むのです。
 
生活バリアか?交流ステージか?
 
問いはつきない。N.F
 

量産 vs 一品

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一品vs量産.jpg
ものを創り出す男なら、避けては通れない問いがある。
 
「大量生産 か 一品生産 か」
 
芸術家を気取る御仁であるなら、自らの手になるものを作品と称して
「一品性」のもつ力を信じるだろう。
 
大企業の社長ならば「量産性」が経営のテーマになることは疑えない。
 
 
量産か一品か? 地下鉄かバスか? どん兵衛か緑のたぬきか? 風呂かシャワーか?  
 
このDead or Live的な問いに対する我々の答えは両者の「交接」だといえる。
 
 
「岩見沢マチ住まい倶楽部」と建設中の集合住宅は、アパート&長屋という単純な
形式ながらも8戸の間取りが全て違う。設計したのに現場では迷ってしまうくらいだ。
 
別にヒマで難しくしているワケではない。
限られた敷地内に最大の駐車台数と住戸数を確保する研究を積み重ねた結果の末なのである。
 
 
アパートや長屋では効率的に多くの住戸を詰め込むことが重要だ。
同時に、建設上の簡便さやスピード感も求められる。
 
一方、複雑な間取り。
 
まさに量産vs一品の状況だ。
 

施工者南原工務店とは、3年という時間をかけて住宅供給と建設のあり方について
様々な取組をともにしてきた。しかし、どれもカラブリだった。
 
この経験が無駄にならなかったのは、お互い「量産vs一品」という問いを
手放さなかったからだ。
 
昨今、全国的に住宅建設費における量産建材のシェアは非常に高くなっている。
あらゆるパーツが安価で大量にカタログ化されている。
芸術家気取りで一品性にこだわっていては、ガラパゴスに幽閉されてしまうのだ。
 
今回我々は量産建材を自在に扱う南原工務店の志向性に「答え」を見出した。 
 
 
その結果、設計作業の大半を量産建材の規格と複雑な間取りの「交接」
に捧げることを誓った。
 
 
大雪の中、量産性を父に、一品性を母に持つNew-Typeが姿を現した。
 
しかし、地下鉄かバスか? どん兵衛か緑のたぬきか? 風呂かシャワーか?
これら重要案件についてのNew-Typeは生まれそうにない。
N.F