2012年1月アーカイブ

現場だより

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これは建設現場のような「教育現場」である。私は北海道大学の非常勤講師として約11年間、図面無きこの現場で迷走してきた。
 
しかし、長かった現場監督の任から解放される時が来た。完成することは決してないが、解放されるのだ。
 
現場というからには、待ったなしで何かをつくっているわけだが、それは建築そのものではない。
体を張って建築をつくる「人材を建設」しているのだ。
 
本当の建設現場の様に、監督は慎重かつ大胆に、タタいたりナゼたりしながら、徐々に人材をつくり出していく。
 
現場監督に着任後早々、格好をつけた話しなんて素材には全く響かないことに気付いた。じゃあ、どうするのか?指針となる図面など存在しない。その都度、その瞬間、最適と思える建設方法を試してみる。
 
最初はクビを覚悟で色んな方法を試みたが、5年ほどたってだんだん怖くなって来た。経験を積むに従って、学生の心の中が読めるようになって来たからだ。
 
学生の反応に敏感になれば、建設方法についても慎重にならざるを得ない。
 
言葉が鈍る。脚がすくむ。
 
そんな葛藤を3年ほど繰り返し、ようやく次の建設方法が見えてきた。
 
それは「言葉を研ぐ」こと。じっくり間をとって、実感をもって答え切れるまで我慢するという、私自身にとって辛い訓練を必要とした。
 
学生の心に響く言葉。整理されてて、勢いがあって、ユーモアも引き連れた、そんな言葉。
 
何となく習得できた所で現場監督の交代である。信頼できる人材にバトンを渡した。
 
 
現場監督最後の日、今日も学生はドロドロになって、模型をつくり、図面を描き、決死のプレゼンを行う。この風景は11年間変わらない。
この状況で頼れるものは、やはり「研がれた言葉」しかない。
 
現場終了後、教員や学生と飲み倒した。解放感からか、
最後は一人で深夜まで飲んだ。
次の日は無口だった。発する言葉が枯れたのか?
いや、たんに二日酔いだったから。N.F 

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直径6mの球体に直径7.6mの球体がめり込んで出来たクレーターをつくっている。
この小惑星は子供の遊び場なる。
 
FRPの守備範囲は携帯や家電そして航空機にまで及び、自動車分野にまでクイ込み始めている。

この素材のウリはいくつかある。
強度/軽量、量産性/形態自由・・・などである。
 
つまり多様なデザインを大量に安定した品質で生産できることがウリなのである。
 
一方、建築は量産化の対象にはなりにくい。 
堀立小屋であろうが高層マンションであろうが、特定の場所に明確な目的をもってつくられる。使う人も限定的だ。
 
「非-量産」的な建築は「量産」という現代産業のキーワードとどう向き合うか?

これが我々のQ(問い)だ。

 
 
FRP製品を量産するには「型」が必要だ。「型」自体は丹念につくられた「一品生産」である。「型」を彫り出すには、熟練職人のハンドパワーまたはそれに代わるマシンが必要だ。
  
遠藤木型社のマシンはあらゆる立体物を切り出すことが出来る。水平・垂直・球面の5軸方向に作動しあらゆる「型」を彫り抜く。
 
 
我々は「型」そのものにコミットすべきだと直感した。
 
 
この小惑星を彫りだせるのは「型」を 
 
のはらっぱ専門家のN-B君は、我々が頭を悩ませている大きな砂場の前に立った。

"We" な ドカン

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"挑戦するFRP工場" を自称する千葉化工を訪ねると、
イチゴやツリーハウスや昆虫など繊細な樹脂製の造形物の中に
オーラまんまんの力強いマシンが横たわっていた。
 
これはFRP製の土中埋設管、通称ドカンをつくる「押し出し成型マシン」である。
 
ちなみにFRPとは繊維強化樹脂のことで、ケイタイ・玩具・家電から航空機のボディまで
我々のまわりはFRPだらけだといっても過言ではない。
 
つまり現代生活はFRPに包囲されていているのだ。
 
 
 
この日は「はらっぱ」をコンセプトにした子供の遊び場をつくるため、
例により何かを頂戴するために工場見学をさせてもらったのだが、
私の眼は先述のドカンマシンに釘づけとなった。
 
ドカンを模したFRP遊具はよく見かける。
昔、はらっぱ遊びでナラした大人が、現代っ子に向けてつくったものだろう。
 
「俺らのガキの頃はナ~、はらっぱのドカンをヨ~、アジトにしてナ~」
 
その気持ちは十分くみあげつつ、私にはドカンマシンによって出来た
本当の土木用FRPドカンを使うことが重要に思えた。 
 
FRPに包囲されている現代生活。
子供用とはいえ、この上さらにドカンに似た玩具をつくる必要はない。 
本当のFRPドカンを使えばいいのだ。ただし新しい使い方で。
 
並走する12mの2本の大口径ドカンは、ラグビーのスクラムの様に
互いに喰い込みながら、複雑に組み合わさっている。
 
それにより力学的な均衡と安定を生み出しつつ、内部に複雑な空間が生まれた。
土木用のFRPドカンは、チマチマした発想を許してくれなかったのだ。
 
 
模型を前に、完成物の出来を心配していたら、
ドカンの専門家として二人の少年が現れた。
 
「固まってんと、なんか意見聴かせてくれヨ~!」 

一人は、マイクを持ったガッチリとした奴。
もう一人は、少しのん気な感じの奴だった。
 
N.F 
 
 

"We" な 哲学

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「お前のいうWeとはなんだ!」
「ウィ、ウィって、しゃっくりが止らないだけじゃないんですか?」
「ていうか、しゃっくりだったらウィッだよね」
「しゃっくりじゃなかったら、じゃあ何なんだよ?」
 
  
 
年始より批難や疑問の声が殺到している、、、わけでは全くないが、やはりここは語らずにはおられない。
 
 
"We"な哲学とは? 
 
-ものづくりの可能性をどこまで拡張できるか。 
 ・・・しかし、これは格好をつけた言い方だ。 
 
-どんだけ面倒なつくり方をするか。
 ・・・この方がしっくりくる。
 
技術的にもデザイン上も面倒・遠回り・混乱といった工程をあえて踏む。もちろん全てをそんな風にやったら、当社も私も共倒れであるので、半分くらいの話しだ。
 
たとえば現在取り組んでいる就労支援のための工房とレストラン。インテリアの要として可動の壁をつくっている。
全体の設計作業も複雑なのに、この小さな壁に異常な時間を注いでいる。
 
パターンデザイナー、木材メーカー、プリント会社、3D木工会社、皮革デザイナーが我々とともに知恵と技術を絞りあっている。
 
シラカバ、鹿革、高分子塗膜、特殊プリント、5軸加工、、、など新旧の素材や技術が混乱状態である。 
 
ようやくカタチになったらミラノのデザイン博に持ち込む。こんなことはこのプロジェクトにおいて誰からも求められてはいない。
 
でもやるのだ。すると人・技術・知恵は不思議と集まってくる。何かに化ければ儲けものだ。 
 
これが"We"な哲学である。
 
「えー、それって、ものづくりバカのガス抜きパーティじゃないの?」
 
それはちがう。
ちがうと思う。
ちがうのか?
 
しゃっくりでもパーティでもないことを、も少し語らせてほしい。N.F