2011年7月アーカイブ

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仕事というのは殆ど思い通りには行かない。方向転換、中断、頓挫は日常茶飯のように起こる。
毎度毎度、キレていたら体がもたない。
 
その点、「プロジェクト」は違う。意志の力によって成長させることが可能である。
 
この二つは決して混同してはならない。
 
いつものごとく、思い通りに行かない仕事に囲まれながらも、実感できるものを求めてp.b.Vは色んな処に脚を運ぶ。
今回は札幌山の手高校の文化祭。女子バスやラグビーで全国的に有名だ。地元ではヤンチャが集まることでも知られている。
 
友人である山の手高校ラグビー部監督のS先生に誘われ、興味深々でキャンパスを訪れた。
 
Sさんは私にいった。指導者には松・竹・梅がある。
 
「梅。全部自分がやらないと気がすまないタイプ」
「なるほど。」

「つぎに竹。全部を人に任せるタイプ」
「なるほど。なるほど。」

「松はどいうタイプかわかりますか?」
「うーん。その中間?・・・わかりません。」

 
「人の知恵を借りるタイプ」
「なるほど!なるほど!なるほど!」
 
なるほどの、バーゲンセールである。
 
ラグビー部員のつくったヤキソバとカレー2杯。アイスダブル。コーヒー。団子二つ。抹茶二杯。それらを腹に何とか納めて、玄関ロビーまでもどった。
  
そこには数枚のラグビーJAPANのユニフォームが額装されていた。山の手高校出身の日本代表選手、マイケルリーチが母校に寄贈したものだ。 
 
S先生にとって、ヤンチャを指導するのは完全に思い通りに行かない「お仕事」である。しかしラグビーを通して国内や世界と闘うのは「プロジェクト」なのだ。
 
ここまでたどり着くのに20年。プロジェクトを育てるには必要な時間だった。
 
p.b.Vはあるプロジェクトに取り組んでいる。時間をかけ、人力をかけ、爆走中だが、何よりも「知恵を借りる」ことが必要だと実感した。
 
晴れ渡る、強風の校庭にて。N.F
 

農か、ITか。

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IT分野のあるエキスパートは私にこういった。
「建築は農業に似ている。ITの彼岸も農だ。」
 
 
農業は土地という不動のものから逃げることは出来ない。
そこには気象や地勢という、人間には抵抗不能の要素も含まれるのだ。
 
従って、絶望や挫折とも向き合うが
「今、ココから。」を実感できる魅力も秘める。
 
この表裏一体感が農業の困難さであり、可能性の源泉ともいえるのだ。
 
先述の「ITの彼岸」とは、困難さを味わうことなく
「今、ココから」を体感することだと、私は理解している。 
 
 
 
自らの専門分野の位置づけを測るために他分野を参照することは有効だ。
そのためp.b.Vは様々な場所に脚を運ぶ。
 
建築を専門とする我々にとって、とりわけ農業とITは重要な方向指示機である。
 
そして指示機の先にあるものが、最近徐々にわかってきた。
 
手がかりは人間に備わる二つの生理。
 
 /時と場所に拘束されないと不安になる生理。
 
 /時と場所の束縛から自由になりたい生理。
 
相反する生理を同時に満たしたいという贅沢な欲望が
建築をはじめ、あらゆる分野の技術開発を後押しして来た。
 
 
高原のズッキーニ畑を歩きながら、農、IT、建築、そして二つの生理に
ついて考えを巡らしている今日この頃である。
 
ちなみに私は土イジリもしないしスマホも持たない。

従いまして、facebookの海原に飛び込むにはもう少し時間がかかりそうです。
N.F 
 

光 合 成

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10年前、東京の狭い事務所にコモりながら、今後の会社の経営方針についてまとめていた。
 
その半年は、辛く、痛く、同時に能天気な時間だったといえる。
 
スタッフをはじめ、周りの人たちの冷ややかな目線を感じながら、
乏しい経営資源を過大評価しまくり、可能性とハッタリの区別もつかないまま
猛進ししていた。
 
・・・といっても頭の中だけだが。
 
読み返してみると以下の3点に力が注がれている。
 
①経営資源の整理:乏しい実績を過大評価すること。
②社会的な貢献 :世界とのつながりの模索。
③オフィス環境 :「本末転倒」的、カッ飛んだ職場づくり。

 
①については言い放題なので苦心はなかった。
 
③については、「たこ焼きやと洋裁工房とソロバン塾」の混ざったような
空間をイメージしていた。気のフレたようなスケッチがたくさん残っている。
結局、古い商業ビルにカフェ+オフィスというブナンな線に落ち着いた。
 
「たこ焼きやと洋裁工房とソロバン塾」では、協力者もついて来てくれそうになかったから。
 
一番苦心したのは②だ。この先、社会は何を求め、我々は何をつくるべきか・・・
主体が誰であろうが、常に難問だ。
 
可哀そうなくらい稚拙な答えの羅列の中に、ついに出口を発見したのか
あるいは心が折れたのか。
 
「とりあえず、世の中と光合成を行う」の記述。
 
ぜんぜん記憶にないけど、謙虚さと冴えと疲労感は滲み出てて、
今の私としても「受け取れた」。
 
わかる、わかるぞ。オレ。
N.F
 

小さすぎる建築

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「小さすぎる」建築が、「デカい」空間に登場した。
 
ここは都心駅前。男女共同参画センターの情報ライブラリーである。
 
「小さすぎる建築」はタイムリーな情報を搭載して、デカい空間を自在に動く。
 
ブックスタンド本体はシラカバ合板のケースで覆われていて、コーヒーカウンターも兼務する。 
 
小さすぎる建築の使命は、デカい空間に対し、カルい操縦で、ツヨい影響を与えることだ。
 
そのため館員の方々は搭載する情報を吟味し、置換し、あちらこちらへとカラフルな本体を移動させ、空間にタマリとヨドミとナガレをつくる。
小難しい空間活用計画なんてなくても、ほとんど本能的に動かしたくなるのだ。
 
この「本能的に」というのがキモである。
 
 
サトウアサミさんのデザインモチーフは草木や花、実など原野の様相だ。
 
それがシラカバという、懐かしくて新しい素材に特殊印刷されている。
 
数千年にわたり、人と自然が分かち合ってきたものを凝縮している。
 
 
館員のみなさん、どうぞ気のすむまで、そして手垢で黒くなるまで、また車輪がこわれるまで、「小さすぎる建築」に関わりつづけてください。
 
父より。
N.F

続 参 加 力

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数か月前に書いた「参加力」に対し、数人の方々から感想を頂いた。
 
己を絞り込んで文章を書くのは辛い作業だ。だから素直にうれしい。
 
一つの文章が完成するのに三日間を要する。 
  
 
 
一日目
本当に書きたいのかを己に「問い切る」。イキオイやイロケが漂白されるまで。 
 

二日目
バカになってまずは書いてみる。そして何度も推敲する。 
 
 
三日目
ようやく謙虚さと冴えが訪れ、文意全体をシトメることができる。 
 
 
 
ラグビーはオットコ前のスポーツ。どんな過酷な状況でもファイトする。
 
この日も早朝より、酒気帯びの体調を覚醒させてファイトした。
 
 
そして、また文章化を通して己に向き合う。「参加力」は筋力と同じなので、鍛え続けなければ無自覚に衰えるから恐ろしい。 
 
疎外感にさいなまれないための抵抗だ。
 
いま、私に残されたものは数か所のアオアザ、肋骨の激痛。
 
そして「参加力」の更なる芽生え。N.F