2011年5月アーカイブ

澱み、淀み

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タウト.jpg 

 /タマる・・・目的を持った滞留
 /ナガレる・・目的地点への移動
 /ヨドむ・・・それ以外、つまりモジモジする
 
 
「タマる、ナガレる」はシナリオを鍛え上げることで勝算はたつ。建築よりずっと「小さい」もの、そしてずーっと「デカい」ものへの感度が重要だ。
 

一番やっかいなのは「ヨドむ」。
 
人間がモジモジしている時に包容力を発揮し、次なる動機を誘導する場とは・・・
  
 
建築の構想には非常に重要なんだが、、、むずかしい。 
  
 
昔ドイツにブルーノ・タウトという男がいた。1930年代から名を馳せた建築家だった。親ソ連を理由にナチスから追われ、日本に亡命した。
 
 
タウトが群馬県高崎にある少林山達磨寺に潜んでいたことは有名だ。
 
大先生が極東の地方都市で何をしていたか? 
 
「モジモジ」していた。
  
 
達磨寺は斜面地に張り付いており、境内は狭く階段だらけだ。
 
2年ほど境内の簡素な住宅で夫婦で生活した。 
  
石段や坂道は「もじもじ」するには良い。
 
心が迷っていても重力は容赦しない。
 
筋力は常に動かさなければならない。
 

 
-意識を何かに向けざるを得ない環境づくり-
 
 
 
「澱み」から「淀み」、そして「ヨドミ」へのシナリオはタウトさんがご承知のはずだ。そのココロは境内の片隅に建つ石碑に刻みつけられている。簡潔な言葉に隠されて。 
 
 
ICH    LIEBE    JAPANISHE    KULTUR
私は日本文化を愛する。
 
日本でのモジモジは大いなる「充電」となった。その後トルコで活躍。しかし離日後1年で命は果てた。
 
「放電」しすぎたのかも知れない。
 
ヨドミとは、手ごわく、潜在力を秘めた空間なのだ。
N.F

流   れ

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ハルニレ.jpg
ナガレを誘発する磁力をどの様に創り出すか?
方法はいくつかあるだろう。
 
自然環境を磁力にするシナリオもある。
 
 
軽井沢の星野温泉が経営するハルニレテラス。
幹線道路と渓流のわずかなすき間につくられた商業施設群を訪れた。
 
 
まず駐車場から入るのは、小ぶりの棟が両側に連続する参道の様な空間である。建物の間には渓流に張り出したテラスがあり心地よい。
 
 
渓流沿いの立地を最大限に利用した計画と手堅い建築デザインは、ミスの起こり難い「守りのサッカー」といった趣きを感じる。 
 
しかし面白いのはこれが施設の全体像ではないことだ。
 
テラスを抜け上流方向に散策すると大きなレストランと温泉施設がある。
 
ナガレを誘発する磁力はここが発生源だ。


ここで私は己に指令を出す。
 
-自然環境の心地よさを忘れろ。そして頭を整理しろ。
  
 
アプローチのし易い、下流の店舗は「賃貸」。
姿の見えない上流の施設は「自社経営」。
 
湯殿やレストランという本丸は奥まった配置とし、事業上のリスクを経営者が負う。人の通行量が堅調な玄関部分をテナントに当てる。
 
全体としては神社仏閣の境内・参道の構造なのである。善光寺参道の灯篭に当るのは渓流だ。
  
「河川残余地への着眼」「賃貸と自社経営の配置」など磁力とナガレを生み出すために、シナリオの錬り込みと洗練を感じた。 
  
善光寺参道との違いは、強いていうなら床である。
ガッツのある敷石ではなく、軟弱ながらも簡便に交換できる鉄と木のシステムである。
  
その違いが重要なのかどうか。興味のつきない点である。
 
融資元の銀行と経営者は「簡便さ」を。
100年先を構想するホンモノの造園家は「ガッツ」を。

 
設計事務所は「ナガイモノニ、マカレロ」。
 
N.F

ナ ガ レ

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善光寺.jpg
ナガレを創り出すためには磁力が必要だ。磁力が働くから人間は空間を移動する。
 
 
長野駅前の目抜き通りは善光寺の参道でもある。近代的な街並みには、木製の大きな灯篭が配されている。 
 
初めて訪れた者でも眼には見えないが、遠方に参拝場所があることは予感できる。 
 
 
参道は数キロにおよび、屈曲しながら次第に幅の狭い上り坂になる。
 
いくつかの門をくぐり、巨大な木塊の様な善光寺に飲み込まれる。
 
 
磁力のなすがままに参拝をしながら、いくつか実感できたことがある。
 
 
/一番目。磁力の発信源を創り出す「脚本」が必要だということ。それらが醸造され人の意識に定着するには長い時間を要する。しかし発信源がフィクション(つまり脚本)による限り、絶対に「始まり」はある。
 
 
 
 
/二番目。「確かな床」が必要だということ。踏まれても踏まれても挫けないガッツのある床。あるいは軟弱ながらも簡便な交換システムをもつ床。
善光寺参道の床は前者で、7777枚の敷石は300年に渡り参拝者の履物の裏で磨かれて光っている。
 
 
 
/三番目。磁力を伝える小さな「仕掛け」。参道では灯篭だ。徹底的にわかりやすく、小さく、シンプルで、ユーモアとストーリーが凝縮されているヤツ。
 
 
 
歴史性などという化け物に怯えることはない。勇気をもって「未来の始まり」を創り出すことが重要なのだ。 
 
「どんなに小さくても迫真の演技をカタチにせよ。」
 
命名が本田善光さんという人名に由来する、どこかトボケタこの寺は
私にそう語りかけた。
 
有難がってばかりでは、いられませんし。
N.F

YO DO MI

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ヨドミ2.jpg
都心の再開発ビル内のバー。
ガラス越しに3つの行動パターンが写り込んでいる。
 
 /奥のバーカウンターで飲む。
 /手前のテーブルで飲む。
 /その間を通過する。
 
約2.5mの幅に二つのタマリがあり、そのすき間を
ナガレが貫通している。
 
そのナガレは他店やWCへの共用通路でもある。
 
ビルの内部に密閉されているのに、往来で飲んでいる開放感は
タマリとナガレの思い切った隣接と融合に起因している。
  
商業床にも当然契約上の専有と共用があるが、ここでは
管理区分と人の行動や心理が上手く処理されている。
 

 
1フロアが数千㎡に及んでも、小ささ・狭さへの感度を
失わなければ、空間にスピリットは宿るのだ。
 
 
・・・と、血中アルコール濃度が上昇しつつも、クソ真面目に考察するのである。
N.F

ヨ ド ミ

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ヨドミ1.jpg
借家考は未完にままに、そんなことはお構いなく体と頭はさらに飛び火する。
 
我々が現在取り組んでいるプロジェクトの参考とするべく
ある地道な建物再利用の見学に長野に赴いた。
 
もと大手スーパーであった大きなビルの再利用である。
築35年とはいうものの、まだシッカり建っている。
 
いきなり空っぽになったら不気味で無用心だ。
行政が中心になり数年がかりで再利用を軌道にのせた。
 
建設当時に地上げ出来なかった蔦まみれの小さな民家が
巨大で退屈な壁面を見上げている。

 
生真面目にそして質素に市民利用が実践されている現状から
学ぶ点は多い。
 
しかし、「見て学ぶ」以外に「見えないお土産」が必要だと感じた。
 
 
 
人の行動パターンは三つしかない。

 /タマる・・・目的を持った滞留
 /ナガレる・・目的地点への移動
 /ヨドむ・・・それ以外、つまりモジモジする
 
 
 
空間にスピリットを注入するには、この三つを
どう誘発し・加速し・相乗させるかが重要だ。
 
建築はその舞台装置として最大限に使い倒されるべきだ。
 
 
ということで、見学場所のシーンを記憶にとどめつつ
タマリ×ナガレ×ヨドミを巡る小さな旅を敢行した。
N.F


 

参 加 力

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参加する力.jpg
これはセットではない。土の上に雨が降ったら、こうなる。
逃げ場のない現実の舞台装置なのである。
 

ラグビーはオットコ前のスポーツ。どんな過酷な状況下でもファイトする。
 
プレーヤーとしては完全に「盛り」を過ぎている私だが、
最近あることを学んでいる。
 
私は元々、ラグビーの試合にある恐怖を感じていた。
衝突や負傷の恐怖ではない。
 
それは「疎外感」という恐怖である。
 
グラウンド上でファイトするのは総勢30人。
自分ひとりがアツい戦場に参加できていないのでは・・・
そんな恐怖である。
 
ウマイ・ヘタの問題ではない。また、活躍の有無の問題でもない。
 
心身ともに「参加」できるのか、それが試されるのだ。
 
もちろんある程度は体を鍛えなければならないが、
最近になって「参加力」は心の問題であるように思えてきた。
 
他でもない、このオレが参加している。
みんな、オレとファイトしようぜ。
 
 
低温と降雨のこの日も「参加」を実感しながらファイトし続けた。
疎外感という恐怖に打ち勝つために。
 
指示にもならないどころか、見方の混乱を招くような声を張り上げる。
ゲームの流れを寸断してしまう残念な結果になっても、ボールにまとわりつく。
 
参加力の行使のためには、手段は選ばない。
 
かくして、試合はおわった。

 
-神様、ヘトヘトです。声でません。関節も動きません。
 
 でも、疎外感はネジ伏せました。ありがとうございます。

 
試合後は、乾杯とハシゴ酒、参加力はここでも有効だ。
 
 
GWがおわれば、怒涛のプロジェクトラッシュ。
どんなに消耗しても、「参加力」は鈍らせない。ラグビーのおかげです。
N.F