2010年4月アーカイブ

形の種

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       形は「形の種」に影響される。 
                          
「素材の持つ潜在力」が形の方向性を左右する。だから形そのものよりも「形の種」こそ重要なのだ。
使い途が一義的に限定された「建材」と区別して、我々はこの言葉を起草した。         

滝澤ベニヤは芦別にある合板・突き板の製造元である。シナやカバの原木を回転させ、りんごの皮を剥くようにスライスする。それを蒸気乾燥させ積層プレスして合板に加工する。
                                                
北海道の風景としてお馴染みの白樺の合板化に取り組んでいると聞いて、工場見学をお願いした。
                        
白樺は繁殖力が強く、広葉樹にしては急成長し40年で立ち枯れる。山林で枯れて倒れた木は他の樹木の育成の障害になり、放置すると山は荒れる。
                           
その意味で白樺合板の量産化は、山林環境の再生として重要だ。お山の掃除を産業構造に組み込むという発想である。             
                                        
量産化と消費量は表裏の関係にある。従って商品としてパワフルかどうかが問われる。
パワフルかどうかは、「形の種」としての潜在力をもっているかにかかる。
使い途を限定する「建材」にはそのパワフルさは備わり難い。                                         
                             
滝澤ベニヤでは色紙をサンドした美しい合板を商品化してる。角度や曲率をかけてカットして露になる断面の表情は変化に富む。
                          
それをどの様に使うかは、アイデア次第である。
まさに「形の種」。
                                              
建築の未来にとって重要なのは、形そのものではなく「形の種」の発見と開発である。
                                             
それは近代の産業構造へのコミットという深くて、重くて、ワクワクする探検の入口なのだ。N.F
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BRUCE LEEとMICHEAL JACKSONはスーパースターであること以外に共通点がある。自らの人種を背負っていることだ。
                    
黄色人であること。黒人であること。「有色人種」という概念は世界が資本により近代化される過程で生じた。そしていつしか人種の差別化は人類の脅威となった。

今は聞き慣れた感のある「グローバル化」という言葉を、現在も私は消化できないでいる。「近代化」という言葉も未消化な状態だ。
                                        

我々の仕事である建築という分野もこの「近代化」を当たり前の様に受け入れ、ものづくりの前提としている。

                                   
鉄やガラスや材木などあらゆる建材は、物資が世界規模で移動するシステムにより安定供給されている。それらを批判していては仕事はできない。                         
                                     
しかし、時々その根本を見直してみることも大切だ。歴史のお勉強ではなく。
                            
LEEとMICHEALが色褪せないのは「グローバル化、近代化」以前から人間に備わっている本性を体現しているからだ。
                              
怒り、悲しみ、集中力、葛藤、虚脱、柔軟さ、闘争心、ユーモア・・・                                 
                                                   
過ぎゆく日常で「脅威」に無自覚になったとき、仕事で消耗した「謙虚さや冴え」を取り戻したいとき、私はLEEとMICHEALに教えを乞う。N.F

集中力の軌跡

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"工房もく"は札幌近郊の山あいにある木工所で、数名の知的障害者が職人として働いている。

ここでは家具から玩具まで、無垢材を使った様々なプロダクトに取り組んでいる。
                                         
p.b.Vでは建築のような大掛かりな家具を、この工房の職人の力をかりてつくろうとしている。

知的障害と職人性がどのように関係しているのか。例によって「何かを頂きに」工房へ出向いた。

                                                                                    
我々はcrazyなほど細かくて地道な仕事ぶりに眼を見張った。

板材にトレースされた文字や模様を切り抜くために、ドリルと糸鋸は数えられないほどリセットされる。
ノーミスで完成するには異常な集中力が必要だ。エネルギーの消耗する時間である。
しかしどの仕事も間髪を入れずに一気に仕上がる。ひとまとまりの作業が終わっても、連続して次に取り組むとのことだ。
                             
                                                                                                     
作業指導Yさんは、集中力の強度と持続力が知的障害者の特徴であると指摘した。                                                     
「知的障害」の意味が、一瞬わからなくなった。
しかし次の瞬間、これらのプロダクトが知的障害者の手から産み出されたことよりも、「集中力」の重要性を実感した。                                          
                                            
「集中力の軌跡」こそが、我々の仕事の生命線なのだ。
                                                  
                                                                                                       
脅威、謙虚、冴え、に加えて「集中」という観点を腹におさめることにした。
N.F

建築の様な椅子

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家具メーカーのカンディハウス社と協同で検討してきた椅子が出来上がった。改装計画中の札幌市庁舎のロビーに今秋より登場する。
椅子の名前はShima-izm。明治の夜明け、空白の原野に破格の都市を構想した島義勇判官の名前を冠したものだ。
命名はデザインパートナーでもあるカンディ社のS氏。島判官を崇拝している。

材料はカラ松の3層クロスボード。産地は北海道の造材拠点である下川町。旭川工場で丹念につくられ、札幌にたどり着いた。


全体の形状はシンプルで、一辺40センチの立方体である。しかしこの椅子の興味深いところは「決して入ることの出来ない内部空間」を宿している点である。巾5センチのスリットから、光の差し込む内部がうかがえる。

最近の軽量化されたものとは違い、この椅子は重い。内部の空洞に質量があるかのようだ。
150年前の広大な原野が椅子の中に生きている。だから「重い」のだ。我々はそう信じることにした。
                  
じっと眺めていると、大きな家にも見える。豊かな空間をもった建築にも成り得るのだ。

まるで一体の木の塊のように、6枚のパネルを寸分の狂いもなく接合した家具職人の技が、そのような想像力をかきたてる。N.F
街模型その3.jpg
ついに、岩見沢の中心市街地の様子が一目で分かるようになりました。

作業開始から約1年で完成した街模型は、時間をかけ模型を作ったことで街の移り変わりが見えてきました。
開始当初は、空き店舗だったお店に新規のお店が新たに入り、あったはずの建物が壊され、空き地だったところが駐車場に代わっていたりと。
見えてきた街の移り変わりは、模型を時間をかけ作ったことで得られた副産物のように感じます。


模型ができたことで見えてきたこともあります。
まず、中心市街地と呼ばれいている土地の地型が見えるようになり、どういった土地の上に建物が建っているのか分かるようになりました。
そこで見えてきたのが、道路に面した間口が狭く奥行きの長い短冊状の土地が多く残っていることです。
そのため、築年数の古い建物はびっくりするくらい奥行きのある建物になっているのです。
また、建物同士が過度に密集しておらず、なおかつ比較的大きな敷地に建物が建っているため適度な余白を作りだしています。
この空白が組み合わさり、ここでしか作りだせない歩行者だけの生活道路もできている様子がうかがえます。
ただ、中心市街地には似つかわしくない、空き地になっている土地もあることが浮き彫りになりました。


そして、この模型の製作をしていたいマチ住まい倶楽部のスタッフから聞いた言葉がとても、印象に残りました。
模型を見て「街の話をするようになった」と。

建物を作る側や行政にとってきっと街の話は身近なものだと思います。
でも、一市民にとってマチの話は身近なものなんだろうか?
あそこが無くなった、あれができた、あんなのがあったらいいのにと、日常会話の一部として語ることはあっても、
街がメインとなって、今の街や過去の街について話すことあったのかなと。
それが、模型ができたことで、比較的一市民に近い感覚を持っているマチ住まい倶楽部スタッフから「街のことを話すようになった」と聞けたのは、
模型を通じて何かしら街の話をしていける新たなツールになりえる可能性があると感じました。
模型を通じて街の何かを感じ語り、行動していく人が一人でも増えればと思った瞬間でした。
M.T