2009年11月アーカイブ

下川町森林組合

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旭川より北へ70キロの下川町森林組合に行く。目的は唐松材の伐採から加工までの全工程を知ることと、例によって「何か」を頂く事である。

下川町は開拓期より北海道の造材拠点であった。森林組合では植林から伐採、加工から流通までの工程を40年サイクルで管理している。

全工程からでる木材の一切の部位は無駄にせずに利用されている。例えば製材時に発生する木屑は材木の乾燥用のボイラー燃料として使われ、その一部は大きな工場建物の暖房熱源にもなっている。木材からでる松ヤニは蒸留されて芳香材の原料になる。これらは森林資源をサイクルさせるための「知恵と歯車」なのだ。

伐採・断材・乾燥の工程を経た幅3センチほどの板材は、ようやく製材のステージにあがる。ここから柱や梁に化けるのは非常に早い。糊を塗布した板材は集積されたまま加圧機に入り、8分ほどで綺麗な集成材として生まれ変わる。

                                                                                                                             
見学途中、工場群の片隅にあった使われていない工作機に目がとまった。長い柱材の中心に円形の穴を刳り貫くためのものである。・・・「何か」を頂いた気がした。

早速、現在思案中のいくつかのプロジェクトに応用できるか、確かめたくて模型にしてみる。いろんな形を生み出す「穴開き平行6面体」。光を通し、向こうを覗きみることができる。植物のポットにもいいかも知れない。
N.F
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岩見沢で行っている街模型プロジェクト。
着々と建物が増え、町の様子がリアルに見えてきました。
そして、もう一つ見えてきたものがあります。

今回は、模型の建物が乗っている土台の話。

建物が乗っている土台には、利用されている土地とされていない土地が分かるようになっています。
これによって、ただ、町の様子が漫然と伺えるだけではなく、中心部でありながら、利用されず、取り残されている土地が浮かび上がります。
実際、作業を進める中で、中心市街地でありながら、利用されていない土地が見え始めています。

中心部の建物はこうなっていたんだね、というものから、もう一歩踏み込んだ、建物が建っている土地の利用状況の把握もできる、そんな模型になっているのです。
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最後に、模型作りの話し合いの中で、模型を使ってウルトラマンと怪獣の写真を撮ったら面白いかもという話から、実際にやってみました。
大人だけでなく、子供にも興味を持ってもらえる展開が期待できるかも?
M.T
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この模型は点在する公共・民間の市街地再編プロジェクトの「意味と価値を測る」重要なツールとして製作されています。
当社は模型製作を指導サポートし、岩見沢「マチ住まい倶楽部」のスタッフである女性3名で進められています。


紀伊へ 2

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熊野川の色は独特だ。川辺の白と川面の緑青の対比が、今も網膜から離れない。川原の石をひとつ「借りて」きた。無数にある中でも気になる石だ。過去、数度の変成作用がブルーラインの痕跡となっている。

何気もなく、その石を仕事場にあったお気に入りの画集に乗せてみる。
妙にスワリがよい。で、じっくり眺めてみる。

平安時代よりの熊野詣の情景、それよりずっと前の地層変成の痕跡、現代画家の色と形。

紀伊山中の樹齢千年を超える杉や桧の年輪にも圧倒されたが、親指の先くらいのこの石の発信力は何事だろうか。

紀伊では、生活にも、地形にも、年輪にも、石にも、時間と出来事が「凝縮」されている。そこから繰り出されるパワーが、短い訪問者の単純な理解を許さない。

建築の構想において「拡散」は形にしやすい。しかし「凝縮」は常に難しい。
紀伊から学んだことは「凝縮」であった。

写真は快晴の熊野川。Francis Bacon(1909-1992)の画集と石
N.F

紀伊へ

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いくつかのプロジェクトにおいて木をどう使うかを考えあぐね、ヒントを求めて紀伊半島の山中を巡った。世界遺産でもある霊場から何かをちょうだいするには30時間は短い。手掛かりの断片が像を結ぶには時間がかかりそうで憂鬱であった。

空港に向かうまでの数時間を高野山で過ごした。空海霊廟「奥ノ院」への参道で司馬遼太郎の碑文を発見した。私の中のとらえどころのない旅の実感が見事に表現されており、救われた。



司馬遼太郎、碑に、いわく
 「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。
山上は不思議なほどに平坦である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院が甍(いらか)をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀(ねりべい)をつらねている。
枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧、非俗の人たちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海が今も生ける人として四時(しいじ)、勤仕(こんし)されている。
その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような、大門がそびえているのである。
大門のむこうは天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空(そら)がひどく大きい。大門からそのような虚空(そら)を眺めていると、この宗教都市が現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。
まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙(とひ)のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。」




この碑文に背を押されて、大門の前にたつ。丹塗(にぬり)の赤は構造体の腐食防止のためだが、古来より血への連想もあったらしい。
基礎から柱、桁、斗きょう、母屋、垂木と部材が組上げられ、その骨組全体が血流で包まれるのだから、建築物の在り様としてはシンプルで鮮烈だ。
N.F

SKH、間もなく竣工

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千歳市に建設中の集合住宅が間もなく竣工する。中心市街地の人口密度を上げるための官民協働のプロジェクトである。50戸が市営住宅で54戸が企業寮となっている。

計画時に空地だった1800㎡の敷地に約200人が住むことになる。目安としては町内会が一つできるくらいの人口である。
建物の地上部分は通り抜け可能の駐車場で、路地状の商店街と目抜き通りがその車路によりバイパスされている。

我々が勝手に構想を絵にしてから約5年。計画がスタートしてから3年。この建築がシャッター街にどのような変化をもたらすのか、もたらさないのか。検証の術を思案している。
N.F