スタンリーは前世紀において巨匠中の巨匠と呼ばれる映画監督である。ものづくりにかける猛烈さと周到さから学ぶことは多い。
-すべてのシーンは過去に撮り尽くされている。
重要なのは「より良く撮る」ことだ。-
キスでも戦闘でも号泣でも、あらゆるシーンは過去の映画にある。ありきたりのシーンを「再発明」するためには謙虚さと冴えが必要なのだ。
-全編を6つのブロックに分断し、
各々の完成度を高める。
それらを並べることで映画は出来上がる。-
ここに天才の秘密がある。通常の映画では全体の「連続性」こそが生命線だ。「分断」させて撮ることはストーリーテーリングの上では御法度である。しかし「分断」を並べることでストーリー上の「飛躍」が生まれ、観る者の想像力が喚起されるのは事実だ。不可解さを前提に映画を作ることは興業上のリスクをともなうが、「ネタバレ」なる映画評は一掃される。
-現場のスタッフは常に最少限である。妥協のない
撮影が長期に及んでもコスト高にはならない。-
これは映画製作会社ワーナーの社長のスタンリーに対する感想だ。才能も重要だが、時間とお金の操縦能力こそが作り続けられる秘訣である。自分で出来なければ他人に任せなければならない。製作会社と現場との信頼感はそれが大前提となる。
-形を完成させることで、
本当にやりたいことが見えてくる。-
スタンリーは撮影準備を異常な周到さで行うことで知られる。現場では妥協のない映像作りのために猛烈に働く。それは一秒でも早く完成形を予感するためだろう。完成形に近づかない限り、企画意図との距離感は決して測れないことを熟知しているからだ。
カメラ小僧だったスタンリーは、「写真を動かしたい」という明快すぎる野望で映画監督になった。だから映画界の常識やオキテに眼を曇らせることなく、動画づくりに集中できたのだ。
以上は2001年に製作されたドキュメント「20世紀の巨匠スタンリー・キューブリック」を観た感想である。
我々は天才でもなければ芸術家でもない。だからワラをもすがる思いで先人の製作姿勢に学ぶのだ。領域の専門性なんて関係ない。N.F
Day by Day
北海道、今季の雪の多さはシャレにならない。
「生活バリアであるはずの雪が、交流ステージに化けるという痛快さが
雪中ラグビーの魅力だ」
と去年書いたが、シャレにならない。
家からは出られないし、車は人より遅いし、建物は壊れるし。
でも性懲りもなくやるのです。雪ラ。
ラグビーなんだか、エゾシカの戯れなんだか、意味不明の集団が雪の中で
蠢くのです。
ゆっくりと力強く、酸素欠乏でゼイゼイいいながら、うごめくのです。
元有名選手も、外人も、学生も、ただのおっさんも、女も、子供も、
ノースリーブ野郎も、みんな蠢くのです。
アフターでは、ひたすらビールを飲むのです。
生活バリアか?交流ステージか?
問いはつきない。N.F
ものを創り出す男なら、避けては通れない問いがある。
「大量生産 か 一品生産 か」
芸術家を気取る御仁であるなら、自らの手になるものを作品と称して
「一品性」のもつ力を信じるだろう。
大企業の社長ならば「量産性」が経営のテーマになることは疑えない。
量産か一品か? 地下鉄かバスか? どん兵衛か緑のたぬきか? 風呂かシャワーか?
このDead or Live的な問いに対する我々の答えは両者の「交接」だといえる。
「岩見沢マチ住まい倶楽部」と建設中の集合住宅は、アパート&長屋という単純な
形式ながらも8戸の間取りが全て違う。設計したのに現場では迷ってしまうくらいだ。
別にヒマで難しくしているワケではない。
限られた敷地内に最大の駐車台数と住戸数を確保する研究を積み重ねた結果の末なのである。
アパートや長屋では効率的に多くの住戸を詰め込むことが重要だ。
同時に、建設上の簡便さやスピード感も求められる。
一方、複雑な間取り。
まさに量産vs一品の状況だ。
施工者南原工務店とは、3年という時間をかけて住宅供給と建設のあり方について
様々な取組をともにしてきた。しかし、どれもカラブリだった。
この経験が無駄にならなかったのは、お互い「量産vs一品」という問いを
手放さなかったからだ。
昨今、全国的に住宅建設費における量産建材のシェアは非常に高くなっている。
あらゆるパーツが安価で大量にカタログ化されている。
芸術家気取りで一品性にこだわっていては、ガラパゴスに幽閉されてしまうのだ。
今回我々は量産建材を自在に扱う南原工務店の志向性に「答え」を見出した。
その結果、設計作業の大半を量産建材の規格と複雑な間取りの「交接」
に捧げることを誓った。
大雪の中、量産性を父に、一品性を母に持つNew-Typeが姿を現した。
しかし、地下鉄かバスか? どん兵衛か緑のたぬきか? 風呂かシャワーか?
これら重要案件についてのNew-Typeは生まれそうにない。
N.F
これは建設現場のような「教育現場」である。私は北海道大学の非常勤講師として約11年間、図面無きこの現場で迷走してきた。
しかし、長かった現場監督の任から解放される時が来た。完成することは決してないが、解放されるのだ。
現場というからには、待ったなしで何かをつくっているわけだが、それは建築そのものではない。
体を張って建築をつくる「人材を建設」しているのだ。
本当の建設現場の様に、監督は慎重かつ大胆に、タタいたりナゼたりしながら、徐々に人材をつくり出していく。
現場監督に着任後早々、格好をつけた話しなんて素材には全く響かないことに気付いた。じゃあ、どうするのか?指針となる図面など存在しない。その都度、その瞬間、最適と思える建設方法を試してみる。
最初はクビを覚悟で色んな方法を試みたが、5年ほどたってだんだん怖くなって来た。経験を積むに従って、学生の心の中が読めるようになって来たからだ。
学生の反応に敏感になれば、建設方法についても慎重にならざるを得ない。
言葉が鈍る。脚がすくむ。
そんな葛藤を3年ほど繰り返し、ようやく次の建設方法が見えてきた。
それは「言葉を研ぐ」こと。じっくり間をとって、実感をもって答え切れるまで我慢するという、私自身にとって辛い訓練を必要とした。
学生の心に響く言葉。整理されてて、勢いがあって、ユーモアも引き連れた、そんな言葉。
何となく習得できた所で現場監督の交代である。信頼できる人材にバトンを渡した。
現場監督最後の日、今日も学生はドロドロになって、模型をつくり、図面を描き、決死のプレゼンを行う。この風景は11年間変わらない。
この状況で頼れるものは、やはり「研がれた言葉」しかない。
現場終了後、教員や学生と飲み倒した。解放感からか、
最後は一人で深夜まで飲んだ。
次の日は無口だった。発する言葉が枯れたのか?
いや、たんに二日酔いだったから。N.F
"挑戦するFRP工場" を自称する千葉化工を訪ねると、
イチゴやツリーハウスや昆虫など繊細な樹脂製の造形物の中に
オーラまんまんの力強いマシンが横たわっていた。
これはFRP製の土中埋設管、通称ドカンをつくる「押し出し成型マシン」である。
ちなみにFRPとは繊維強化樹脂のことで、ケイタイ・玩具・家電から航空機のボディまで
我々のまわりはFRPだらけだといっても過言ではない。
つまり現代生活はFRPに包囲されていているのだ。
この日は「はらっぱ」をコンセプトにした子供の遊び場をつくるため、
例により何かを頂戴するために工場見学をさせてもらったのだが、
私の眼は先述のドカンマシンに釘づけとなった。
ドカンを模したFRP遊具はよく見かける。
昔、はらっぱ遊びでナラした大人が、現代っ子に向けてつくったものだろう。
「俺らのガキの頃はナ~、はらっぱのドカンをヨ~、アジトにしてナ~」
その気持ちは十分くみあげつつ、私にはドカンマシンによって出来た
本当の土木用FRPドカンを使うことが重要に思えた。
FRPに包囲されている現代生活。
子供用とはいえ、この上さらにドカンに似た玩具をつくる必要はない。
本当のFRPドカンを使えばいいのだ。ただし新しい使い方で。
並走する12mの2本の大口径ドカンは、ラグビーのスクラムの様に
互いに喰い込みながら、複雑に組み合わさっている。
それにより力学的な均衡と安定を生み出しつつ、内部に複雑な空間が生まれた。
土木用のFRPドカンは、チマチマした発想を許してくれなかったのだ。
模型を前に、完成物の出来を心配していたら、
ドカンの専門家として二人の少年が現れた。
「固まってんと、なんか意見聴かせてくれヨ~!」
一人は、マイクを持ったガッチリとした奴。
もう一人は、少しのん気な感じの奴だった。
N.F
「お前のいうWeとはなんだ!」
「ウィ、ウィって、しゃっくりが止らないだけじゃないんですか?」
「ていうか、しゃっくりだったらウィッだよね」
「しゃっくりじゃなかったら、じゃあ何なんだよ?」
年始より批難や疑問の声が殺到している、、、わけでは全くないが、やはりここは語らずにはおられない。
"We"な哲学とは?
-ものづくりの可能性をどこまで拡張できるか。
・・・しかし、これは格好をつけた言い方だ。
-どんだけ面倒なつくり方をするか。
・・・この方がしっくりくる。
技術的にもデザイン上も面倒・遠回り・混乱といった工程をあえて踏む。もちろん全てをそんな風にやったら、当社も私も共倒れであるので、半分くらいの話しだ。
たとえば現在取り組んでいる就労支援のための工房とレストラン。インテリアの要として可動の壁をつくっている。
全体の設計作業も複雑なのに、この小さな壁に異常な時間を注いでいる。
パターンデザイナー、木材メーカー、プリント会社、3D木工会社、皮革デザイナーが我々とともに知恵と技術を絞りあっている。
シラカバ、鹿革、高分子塗膜、特殊プリント、5軸加工、、、など新旧の素材や技術が混乱状態である。
ようやくカタチになったらミラノのデザイン博に持ち込む。こんなことはこのプロジェクトにおいて誰からも求められてはいない。
でもやるのだ。すると人・技術・知恵は不思議と集まってくる。何かに化ければ儲けものだ。
これが"We"な哲学である。
「えー、それって、ものづくりバカのガス抜きパーティじゃないの?」
それはちがう。
ちがうと思う。
ちがうのか?
しゃっくりでもパーティでもないことを、も少し語らせてほしい。N.F
me,
We.
(俺は、俺らすべてだ)
こんなこと自分以外の何かを「背負ってる奴」にしか出ない言葉だ。
ボクサー、モハメド・アリのシンプルで深い言葉を店名に頂いたおかげで約2000日を全うすることができた。
心が折れそうなとき、お店の存在は「me(私ごと)を超えたWe(我々の事柄)」だと、心身を覚醒させることで乗り切ることができた。
年明けからは静まり返ったオフィスで仕事に打ち込む。取り組むべき課題は山盛り状態だ。
しかし我々が生み出す線の一本一本が、meではなくWeを表現することを忘れずに行きたい。
meは完全に卒業。我々はWeに向かう。
それが十分達成可能に思えるのは、2000日に及ぶ強烈なインプットの賜物だ。
この数日、多くの方に来ていただきありがとうございました。
肝臓はくたくたですが、良い年明けを迎えられそうです。
皆様にも、来年が良い年でありますように。
2011.12.31
N.F
今年末をもってp.b.V併設のcafe me,We.を閉じることにした。
約9年間、設計が本業の我々にとっては試行錯誤の連続だった。
飲食店経営のノウハウもなし。ビルの3階というわかりにくすぎの立地。
しかし、本業で「モノづくり」に打込めば打込むほど、体は「決して形にならないもの」を求めはじめた。もう10年以上前の話である。これは本能としかいえない。
並みのモノづくりの域を脱してクレイジーなモノづくりに移行するには、相応のインプットが必要となる。
それも骨にクイ込むような・・・
私はそのインプットを「自らの店づくり」に求めた。
お店を通して、街や人という形の無いものと向き合うことが、有形物としての建築に接近できる唯一のインプットだと考えたからである。
経営上のギコチなさは3年ほどで解消された。5年を超えた辺りから、お店に訪れる人たちの声や気持ちがよく理解できるようになってきた。
金は儲からなかったが、人は儲かった。本当に儲かった。
いや、正確にいうならば本来金では買えないほど高価なインプットを格安で購入できたというべきだろう。
この店を通じて、街や人に貢献できたこと。そして授かったインプット。すべての帳尻が合ったところで、「お開き」にしたいと思う。
ちなみにp.b.Vオフィスはそのまま残る。
年内は31日まで営業します。夜は私もお店で飲み明かします。無形のものと語らいながら。
約2000日、本当にありがとうございました。N.F
The walls are made of clay boiled in oil.
As time went by, the peculiar design was made of itself by the oil seeped out.
-この壁は油で煮た土で出来ている。
時間が経過するにつれ、滲みだした油により、一風変わった表情に変化した。
龍安寺 拝観パンフレットより
ファイナルQ : 平面上に奥行をつくる技術とは?
数か月間この手強い問いについて試行錯誤を繰り返して来た。
seep outとは「滲みだす」という意味だが、
「平面上の奥行」という矛盾は、この技術操作なしには不可能なことが判って来た。
これはあるプロジェクトのための技術開発である。
同時に、来年のイタリアの世界的デザインイベント、ミラノサローネにも出展を目論んでいる。
都市の喧騒の中に、いつまでも、いつまでも、眺めていられる
いわば癒しと浄化と集中のためのデザインである。
とにかく「seep out=滲みだす」という拝観パンフのお言葉にしがみつき、
何とか「光の滲み出し」というアイデアに到達した。
しかし、透過や反射という光の性質を「滲み出し」に昇華させるには
技術的な開発を必要とした。
いくつかの企業や技術者の協力を経て、なんとかカタチになろうとしている。
ものづくりにおいて、楽しさと辛さが交錯する時間帯が続く。
滲み出そう。
そうだ、滲み出すのだ。
滲み出すように、年の瀬を迎え、
滲み出すように、新年を迎えたい。
そして、
滲み出すようにプロジェクトが完成しますように。
N.F
私の小学校の恩師、S先生が還暦を迎えた。
S先生は「様々な試み」で幼い我々の感性を刺激した。
その一つが「己をキリトル」というものだった。
それは「ずるむけ」というミもフタもないタイトルの文集づくりだった。
当初S先生は「太陽」というまぶしいタイトルを予定していたが、
「まぶしいければええんや~」という操縦不能の小学生による豊かな発想力で
「ずるむけ」と「なまはげ」の2択となり、投票で前者になった。
いずれにせよ、生徒たちは自らが選択したミもフタもないタイトルに向き合うはめになったのだ。
結果、身構えた作文ではなく、ありのままの己を文章でキリトルという非常に高度な
試みとなった。
生徒たちの少し硬かった文面も、次第に加飾のない「己のキリトリ」に進化した。
切なくて、残酷で、痛くて、かゆくて、生真面目で、シンプルで、ユーモアのある文章が
ぎっちり詰まっている。
約30年ぶりに再会したS先生や同窓生から「ずるむけ」の思い出を聞くうちに
なぜ私が「己のキリトリ」にこだわり、ものづくりや作文に向き合うのかを
突きつけられる思いがした。
仕事のあれやこれや、その他のあれやこれや。脳裏の輪郭がボケボケの状況から
脱出するためには「己のキリトリ」しかないのだ。
キリトッて、キリトッて、それらを丁寧に建て込んでいくしか前進の方法がない。
こまったことに。。。
祝宴当日、卒業式以来の「出席」をとるS先生の足元に記念品の赤いシューズ。
「最高の絵ヅラやん。」と写真をとっていたら、出席とばされた。
「せ、先生、おれいますぅーっ。」N.F